2009.07.26 Sunday 03:11
くっくり
修学旅行を終え、長野へ帰っていった子供たちから感想文が送られてきました。
「…八田与一(原文ママ)さんのお墓参りに行きました。たった一つ台湾で残された日本人の銅像、台湾の方々へのありがたみ、心の中に大きく広がりました。銅像にそっと、『お疲れ様でした』と言ったら、八田さんの顔がわずかに微笑んだような気がしました」(飯島京子)
「…僕はあまりの大きさに驚きました。これが八田与一さんの造ったダムなんだと圧倒されました。どれだけ苦労してこのような物を作ったんだろう。しごとで亡くなった人たちを記念する殉工碑を見に行きました。この殉工碑は、日本人と台湾人の差別なく平等に名前が彫ってありました」(加藤凛太郎)
本来植民地支配というのは、差別の構造を持ち、その上に成り立つものであると言われていますが、八田技師はそのような時代に生きながら、台湾人と日本人を区別せず、壮大なダムを作り上げました。この事実が台湾人だけではなく、日本の子供たちにも深い感動を与えたことを知り、嬉しく思いました。
網の目のように覆う灌漑水路の総延長は万里の長城の六倍にもなり、現在万里の長城は観光以外には無用の長物でしかありませんが、このダムと水路は今でも毎日嘉義から台南にかけての広い平野を潤しています。このダムと灌漑水路を研究している若い学者たちによって、世界遺産申請の運動が起こっていますが、台湾はユネスコに加盟していないので、日本に代わりに申請してもらえないだろうかと思案しております。慰安婦問題、南京大虐殺など、戦前のマイナス面ばかりを問われる日本は、こうしたプラスの遺産もあるのだと世界に向かって言えるのですから、私は大賛成です。
桜の美しい季節に霞会館へ招かれ、「血と汗の時代はもう遠い昔になり、台湾人と日本人がともに過ごしてきた五十年、ともに作り上げてきたものは共有の財産となって台湾に残っているのです。わたしの故郷台中市に残されているだけでも台中駅、台中公園、台中水道局……それらは決して歴史の残影ではなく、今でも生きて人々の生活を豊かにし、過去、現在と未来を結び、台湾と日本を親しく結ぶ絆となっています」と、このように話してきました。
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