外国人から見た日本と日本人(13)

2009.07.26 Sunday 03:11
くっくり


 
■イザベラ・バード=イギリス人。1878年(明治11年)以降、日本各地を旅した。当時の女性としては珍しい旅行家で、世界の広範な地域を旅行。
「イザベラ・バードの日本紀行(下)」より

 日本人の性格で評価すべき二点は、死者に対して敬意をいだいている点と、あらゆることに気を配って墓地を美しく魅力的なものにする点である。東京の墓地の美しさは京都のそれには及ばないとはいえ、多くある墓地はどれもみな手入れが行き届いている。

 また歴代将軍が「栄光のなかに眠っている」芝や上野の豪奢な廟から肉体労働者の遺骨の眠るつつましい墓に至るまで、死と生のあいだには厳格な差異はなく、「すべての生者に約束された家」はきちんとして、装飾が施され、そこに眠る者が生前占めていた地位に適ったものとなっている。

■ブルーノ・タウト=ドイツ人。建築家。ナチス政権に職と地位を奪われ国外へ。1933年(昭和8年)5月に日本を訪れそのまま亡命。日本では建築の機会に余り恵まれなかったが、その一方で建築理論の構築に勤しみ、桂離宮を評価した著書を著したり、熱海の日向利兵衛別邸でインテリアデザインを行った。日本人建築家に伝統と近代という問題について大きな影響を与えた。著書に『ニッポン』『日本美の再発見』など。
「タウトの日記」より

 私たちが山下の小径を歩いていると、いつものように大勢の村童たちが私たちのあとからついて来たが、やがて私たちの歩く先に立って両側の潅木の枝を左右に押さえつけ、枝の先が私たちに触れないようにしてくれた。外人を見ようとする好奇心はあっても、実に細かい心遣いをする物だ。みな貧しい?それも極めて貧しい子供たちなのに!やはり日本なのだ。

※タウトは1936年(昭和11年)トルコからイスタンブール芸術アカデミー建築家教授としての招聘を受け、離日しましたが、その際、「私が死んだら達磨寺に埋葬してほしい」と言い残したそうです。死後、夫人によりデスマスクが達磨寺に寄贈された他、現在、洗心亭にはタウト自筆による独語の「私は日本の文化を愛する」の碑が建立されています。

■コリン・ロス=1885年(明治18年)ウィーン生まれ。1938年(昭和13年)3月の独墺合邦以後「ドイツ人」となった。第一次大戦のときオーストリア新聞特派員として活躍し、その後、アジア、アフリカ、南北アメリカの各地を旅行し、政治、経済に関する論文やその旅行記を書くとともに、映画制作にあたった。

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