京都裏ミステリー七不思議第2弾 「ビーバップ!ハイヒール」より
2009.06.13 Saturday 02:25
くっくり
元忠たちの亡骸は、関ヶ原の戦いが終わるまで2カ月間、伏見城に放置された。
戦に勝ち天下を掌握した家康は彼らの血が染み付いた床を見て、こう言ったという。
「この血は我が忠臣の魂だ。供養のために床板を寺に移せ。ただし床にするでないぞ。決して足に敷かれることのない天井の板とするのだ」
こうしてその板が移されたのが、養源院の「血天井」。
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生々しい血の手形、足跡など、無数の黒いしみの跡が残る板には戦国の世に生きた男たちの忠義が宿っているのである。
※くっくり注:養源院の「血天井」は現在は写真撮影は禁止されているそう。お寺の人によれば「何が写るかわからないから」ってことらしい。ABCは特別に撮影させてもらったのかな?ちなみにこの時の伏見城の床板(「血天井」)は養源院だけでなく、宝泉院、正伝寺、源光庵、宇治市の興聖寺にも伝えられているそうです。
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【一位:六道珍皇寺 冥土へつながる井戸】
この世とあの世の境目と言われる六道の辻。
そのそばにある六道珍皇寺の境内には、不気味な蓋で閉じられた井戸がある。
この蓋は決して開けてはならないと伝えられている。
なぜなら、そこは冥土への入口だから。
本殿の壁から怨霊除けの猿が目を光らせている。
しかし、かつてこの井戸を使い、冥土と現世を自由に行き来したといわれる男がいた。
その名は小野篁(おのの・たかむら)。小野小町の祖父である。
篁は毎夜、この井戸から地獄に降り、閻魔大王の裁きの補佐をしていたと伝えられている。
その証か、ここには篁自身が作ったといわれる閻魔大王像が鎮座している。
image[090611-7-2enma.jpeg]
これが篁が見た本当の閻魔大王の顔なのか?
ちなみに、この六道珍皇寺の井戸は入口で、出口は嵐山の福生寺の井戸だったと言われている。
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