2006.06.04 Sunday 02:26
くっくり
いうまでもなく、東京裁判はポツダム宣言と近代法の大原則(罪刑法定主義)に違反した二重の意味での国際法違反である。その不当性は、たとえサンフランシスコ平和条約で「受諾」しても減殺されるものではない。当時の成人日本人の圧倒的多数が東京裁判の不当性を認識していたことは、日弁連が中心となって展開した戦犯釈放署名運動に4000万人の国民が署名したことからもうかがえる。
だとすると、なぜ今さらこの不当きわまりない東京裁判で裁かれたA級戦犯について、同じ日本人がその戦争責任(人によれば敗戦責任)を糾弾し、墓を暴くようなまねをするのか。A級戦犯がいたから日本が無謀な戦争に突入し、そして敗れたというような単純なものではない。無数の偶然と必然、そして歴史の大きな流れの中で日本は戦争に突入し、未曾有の敗戦という悲劇を迎えたのであって、その責任をA級戦犯だけに帰すことはできない。ましてうち7人は自らの命でその責任をとっているのである。
≪本当の国になるかの問題≫
A級戦犯の合祀(ごうし)と昭和天皇の参拝中止の間に因果関係がないことも、この際指摘しておく必要がある。
昭和天皇が昭和50年11月21日を最後に参拝を中止されたのは、その年の8月15日に参拝した三木首相が「私的参拝」と奇妙な言い訳をしたことに始まる。
「公的か私的か」の不毛な議論が沸き上がり、昭和天皇が参拝された前日の国会(参議院内閣委員会)で社会党の議員が昭和天皇の参拝の憲法問題を指摘し、激しいやりとりがなされたからである。
A級戦犯を分祀(ぶんし)すれば天皇陛下の御親拝が実現するなどというウソにだまされてはならない。このウソは、靖国神社が分祀できないことを知った上で、難きを強いて首相の靖国参拝を阻止したい勢力の戦略にすぎないのだ。
靖国問題の本質は歴史認識でも政教分離でもアジア外交でもない。日本が戦後体制のなかで今後も「国ごっこ」を続けるのか、それとも本当の「国」に生まれ変わるのかという問題であり、ここに議論の意味があるのである。
(いなだともみ)
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