「たかじん委員会」NHKスペシャル台湾歴史歪曲問題
2009.04.27 Monday 00:40
くっくり
その上、「最も好きな国(地域)」を尋ねた質問では38%が日本と答え、米国(5%)、中国(2%)など他国を引き離し、何と「台湾」(31%)をも上回ったそうです。
そもそも、日本人の引き揚げ時の記録や個人の回顧録に、台湾人の思いがけぬ温情に触れた記述が多いことは、拙ブログの読者様であればご存知だろうと思います。
たとえば「台湾引揚史」(台湾協会編)にはこういう記述があるそうです。
●引き揚げる教師の今後を心配して、生徒がお金を集め学校と父兄の了解を得て届けに来た。
●台北駅前で日本人を満載した列車に向かい、“日本人は我々盲人にも教育を施してくれたことを感謝する”と盲人が大声で演説を始めた。
●引き揚げを待つ間、元勤務地の高砂族の人々が山から台北までわざわざ食料を運んできた。
●引き揚げ列車に向かって、何百人という台湾人が手に手に日の丸の旗を振っていつまでも見送ってくれた。
●部落の有力者の一人は、日本は食糧難で困っているから、しばらく台湾に居なさいと親切に言ってくれた。
日本の統治を経験した世代の台湾人も、そして日本人も、当時を懐かしむ気持ちは今も持ち続けていらっしゃいます。
「私にとって唯一の故郷は台湾です」と話す力丸研二さん(77歳)は、戦前の台北帝国大学で教鞭を執った心理学の権威、力丸慈圓(じえん)教授の息子さんです。
一家は台北市内の昭和町(現在の青田街)という所に住んでいました。力丸さんら子供たちにとって昭和町の暮らしは楽園そのものだったそうです。
そんな力丸さんが敗戦を迎えたのは14歳の時でした。
引き揚げ後は母方の里に身を寄せ、大学卒業後は国家公務員になりました。そのため国交が途絶えた台湾への渡航は定年まで許されなかったそうです。
2004年、母校(現在の台北市立建国高級中学)で記念行事が開かれ、百名の日本人卒業生が駆けつけたなかに力丸さんの姿もありました。母校の玄関に入ると大きな立て看板があり、「おかえりなさい!」と大きく書いてあったそうです。
力丸さんは「それを目にしたとたん涙があふれかえり、言葉にならないのです。60年近い歳月を一瞬にして取り戻した気持ちでした」と話しました。
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