追悼 上坂冬子さん

2009.04.21 Tuesday 00:05
くっくり



 《引用者注:この後、卒業生らは155日にわたって10か国12港の遠洋練習航海に出発。上坂さんはそれの「追っかけ」をした》


2007年9月号【昭和天皇が見た“きざし”】
 《引用者注:東京都立川市の昭和記念公園の一角に平成17年11月27日に設立された昭和天皇記念館を訪問して》

 何よりも驚いたのは、館長室で見せていただいたビデオに昭和六十三年八月十三日、ご静養中の那須から全国戦没者追悼式に出席されるためヘリコプターで上京されたお姿が映し出されていたことだ。崩御のわずか五か月前にいわば最後の力をふりしぼって、さきの戦争の犠牲になった人々を追悼されたわけで、さすがにおやつれの様子がありありとあらわれていた。天皇として戦没者の慰霊だけは何としてもと思われたにちがいない。昭和天皇の神髄を表した画面だと私は思った。

 崩御はいうまでもなく昭和六十四年一月七日だが、その少し前からロサンゼルスにいた私は、ご容体が良くないというニュースを聞いて即座に帰国したのを覚えている。昭和の終わりは日本に身を置いて見定めねばならぬという思いに駆られてのことであった。

 帰国後はテレビを枕元に置いて臨時ニュースを聞き洩らすまいと体勢を整えていたが、あんのじょう一月七日の早朝、頭上のテレビのざわめきで私は目を覚まし、昭和の終わった瞬間を噛みしめた。私の年代にとって、昭和とはこうして見送らずにいられない時代だったのである。

 それにしても、良い時期に良い記念館を建てたものだと私の世代はしみじみ思う。いや“私の世代”に限らず、昭和は世代を越えて日本と日本人にかけがえのない経験を強いた時代にちがいない。二度と味わいたくない体験や、もう一度取り戻したい習慣を含めて貴重な時代ではあった。だが満足感に似たそんな思いを抱いて帰りかけた私を、打ち砕いたのが最後の全国戦没者追悼式に寄せられた昭和天皇の御製である。

  やすらけき 世を祈りしも いまだならず
  くやしくもあるか きざしみゆれど

 平穏を取り戻せない日本に天皇は心を残して崩御されたことになるが、あれから二十年を経て、昭和天皇に見えていたはずの兆しすら私には感じ取れない。天皇を悔しがらせた思いは未解決どころか、日本は後退の一歩をたどっているのであろうか。昨今の政治状況を見ながら呆然とするばかりである。


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