日本人であること、あろうとすること
2009.02.21 Saturday 02:16
くっくり
そういえば前に読んだ本の中に、千年以上も前の和歌とか小説とか随筆なんかを、今の時代の私たちが原文で読むことができるのは、奇跡のようなことなのだと書かれてありました。
私たち日本人はそれを当たり前のことのように捉え、ふだんほとんど意識せずにいますが、言語を失った民族はそういう恩恵には預かれないんですよね。
言語が失われれば、歴史や文化も失われていきます。やがて民族そのものが地球上から消えてしまう。
それを思うと、他民族に一度も征服されることなく、民族の歴史——言語、文化、伝統、さらには感性、情緒性なども含めて——を何とか維持し続けてこられた日本人は、幸運だったとしか言いようがありません。
(実はGHQ占領下において、まかり間違えば日本語の漢字かな表記は廃絶され、ローマ字表記に変わっていたかもしれないという話もあります)
石井英夫さんの話の中に、「ナシ族には掟があり、四の倍数の年は結婚したり、転職したり、引越ししたりはできない」というものがありました。
石井さんでなくとも、多くの人が「そんな迷信とか因習なんか気にしなくてもいいのに」と思ったんじゃないでしょうか。
が、よくよく考えてみれば、日本人も、昔に比べればこだわりはかなり減ってはきたものの、今でも迷信や因習をけっこう気にして生活してますよね。
六曜なんかその代表的なものですよね。仏滅に結婚式を挙げる人は今も少ないと思います。
そういえば、今年のお正月に日本テレビで放送された【たけしの“教科書に載らない”日本人の謎】という番組で、神や仏とともに陰陽道がいかに日本人の生活に深く根付いているか、という話がありました(実は六曜も陰陽道と関係があります)。
陰陽道による天体観測や干支の組み合わせで知ることができるとされた、これから起こりうる災難や災いが「厄」であり、それらを取り除くために行われているのが「厄払い」。
そして現在、神社や寺などで行われている多くの年間行事——どんど焼き、七草がゆ、節分、ひな祭り、端午の節句、七夕、七五三——などは全て陰陽道の厄払い行事だと。
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