日本人であること、あろうとすること

2009.02.21 Saturday 02:16
くっくり



 日本の敗戦の後も、ウイグルには中国とロシアが両方入ってきた。ちょうど彼女達が小学校に入るときだったそうで、学校の教科書は中国語とロシア語が変わりばんこになっていた。

 そして私達ウイグル族には、自分で歴史を書くという、習慣というか、智恵が無かったというんですね。日本がうらやましい。日本人は中国から漢字を得たけれども、漢字を用いて万葉集や日本書紀なり古事記なり、自分達の歴史を作ったじゃありませんか。私達ウイグル族は、ウイグル族の歴史を中国人から与えられたんです、と彼女は、そんな話をしながら涙ぐんだことがありました。

 アイデンティティという言葉がありますが、日本語には訳せないんですよね。辞書をひきますと、自己同一性とか、帰属意識とか。自己同一性なんて誰がわかりますか。

 で、私なりに解釈すると、アイデンティティとは、ナシ族がナシ族であろうとすること、ウイグル族がウイグル族であろうとすることと同じように、日本人が日本人であること、これがアイデンティティではないか。そのことを少数民族の人に教わった記憶があります。

 言語というのは言うまでもなく民族にとって大切なものです。が、ふだん当たり前に日本語を使っている私たちが、そのことに気付く機会はあまりありませんよね。

 私は学生時代、現代国語がまあまあ得意でしたが、古典はさっぱりでした。
 「万葉集」「源氏物語」「枕草子」「徒然草」……、学校でいろいろ習いましたが、かなりしんどい思いをしました。同じ日本語でも古語だからスラスラとは読めないし。

 私が通っていた中学校では3年生の時に「枕草子」の出だし、そう、「春は、あけぼの。 やうやう白くなりゆく山ぎは……」というのを強制的に暗記させられました。
 覚えたら、休憩時間とか放課後に職員室の先生の所に行って暗唱するんです。1カ所でも詰まるともうアウトで、全部ちゃんと言えるようになるまで何度でもやらされました。

 当時は「何でこんなもん覚えなあかんねん」「将来何の役に立つねん」と大変うざったく感じたものですが、今思えば、日本語の持つ美しさ——音とか響きとかリズムとか——を感じ取らせるためのものだったんだろうな、と。

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