戦後の昭和天皇を振り返る

2009.02.10 Tuesday 00:26
くっくり



●昭和天皇が厳しく守られていたのが時間だという。<中略>ただ、こうした厳しさは、すべて配慮とお気遣いに根差したものだった。
 「陛下のスケジュールが急に変更になってしまえば、多くの人に影響が生じてしまいます。とくに地方への行幸は、幹線道路の通行規制を行ないますから、予定が遅れると、関係者や警備をする警察はおろか、市民にまで迷惑がかかってしまう。陛下は、こうした事態だけは避けられたかったのでしょう」(前出の牧野氏)

●一方、その日常生活は、質素なものだった。牧野氏によれば、鉛筆はサックをつけても短くなるまで、ノートは端の余白部分まで使い切るのが当たり前。辞典に至っては、汚れが目立ち、表紙が破れてきても、修補させてご使用になっていたという。
 「室内の調度品も、なかなか取り替えようとなさりませんでした。椅子などは、私がお仕えした20年間でも、一度だけしか取り換えなかったと記憶しています」(前出の牧野氏)

●「陛下は国体などの開会式などに出席される場合、30分でも40分でも姿勢を崩さず、セレモニーをご覧になっていました。この点はどんな場面でも、ご高齢になっても変わりませんでした。まさに公人。それ以外の何物でもないという方でした」(20年以上にわたり皇室取材を手掛けてきた元カメラマンの瓜生浩氏)


■[食生活]「焦がすな」「捨てるな」「腐らすな」が御所の厨房の三大原則だった/工藤極

【工藤極氏は昭和49年から54年まで宮内庁管理部大膳課に勤めた。この特殊な職場に勤めたいと思ったのは、主厨長の秋山徳蔵氏が高齢を理由に勇退される、という新聞記事を読んだことがきっかけだった。工藤氏は第二係(洋食)に配属されていた】

●聖上(おかみ)——われわれ大膳課の職員は天皇陛下のことをこうお呼びした——の朝食には毎日オートミールとコーンフレークが交互に出されていた。普通の家庭の食卓と大して変わらないのだ。これは昼食、夕食においても同様で、宮様との会食や、要人が招かれた饗宴ではそれ相応の料理が出されたが、普段の食事は非常に地味で慎ましいものだった。

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