戦後の昭和天皇を振り返る
2009.02.10 Tuesday 00:26
くっくり
午後2時、天皇は雨のなかを二重橋正門から自動車で式場に到着された。天皇が下車されると、侍従がすぐにうしろから雨用のマントをおかけした。だが、お立ち台の上でマントをお脱ぎ捨てになった。広場を埋め尽くした青年たちが篠突(しのつ)く雨のなかを雨具もつけずに全身を濡らしているのを、ご覧になったからだった。
やがて、青年たちが御前で分列行進を開始すると、天皇はずぶ濡れになられながらも繰り返し、挙手の礼をもって答礼された。多くの青年たちは感動して、涙が雨にまじって顔を濡らした。
天皇は式典が終わる1時間20分のあいだ、軍帽や軍服から水をしたたらせながらお立ち台に裁ち続けられた。
当時の代表的なジャーナリスト、徳富蘇峰は翌日の「国民新聞」に、式典の天皇の姿に感動して「真に感涙が溢るる」という文章を寄稿した。
●終戦直後、フランス領インドシナ、東南アジアなどはイギリス軍の管轄下で約50万人、グアムなどアメリカ軍管轄下にも多くの日本兵がいた。
ノンフィクション作家、工藤美代子さんがロンドンにある国立公文書館で発見した外交文書によれば、天皇が個人の資金から赤十字国際委員会に5万円を寄付したというのである。その目的は「敵国にいる日本人の帰還が円滑に行なわれるのを助けるためと、彼らを勇気づけるため」に寄付を申し出たという。現在の貨幣価値に換算すると7500万円くらいになる。
当時の皇室財政は莫大なものといわれるが、天皇にとって皇室財政は国民のためのものであり、私するものではないという思いが沁(し)みついていた。
だが、戦争に負け、終戦を迎えると遠い異国で捕虜となっている日本兵の身の上が気がかりでならない。おそらく赤十字国際委員会に託した5万円は、天皇がご自分の意志でなんとか自由になる財産だったに違いない。
それは天皇が個人としてできる最大の心遣いだったのである。
■[素顔]陛下はどんなときにご機嫌を損ねられたか/本誌編集部
●昭和43年から崩御まで内舎人(天皇身辺の雑役)として仕え続けた牧野名助(もりすけ)氏も、陛下はきめ細やかな配慮やお気遣いを忘れない方でしたと追憶する。
「ある総理大臣が宮殿行事で陛下に拝謁した後のことです。陛下は、総理の退出の車が車寄せにいるのか確認したうえで『それならば歩いて帰ろう』とおっしゃられたんです。陛下が車を呼んで総理の車とすれ違えば、総理はおそらく車を降りられて陛下をお見送りするだろうというご配慮からのお言葉でした。また、たとえば東京都知事と会うときは、八丈島の織物・黄八丈のネクタイをご使用になるなど、お会いになる方へのご配慮も忘れませんでした。皇族の方と会う場合ですら、必ずその方から贈られたネクタイをご使用になっていました」
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