戦後の昭和天皇を振り返る

2009.02.10 Tuesday 00:26
くっくり


 マッカーサーが天皇に好意を抱いたのは確かでしょう。ただその好意を日本向けに度々見せたことには、外交上の狙いもあったと考えたほうがいいでしょうね」

 一方、昭和天皇は、この会見については「マッカーサーと、これはどこにもいわないと約束したから」と、最後まで語らなかった。昭和52年夏の記者会見で記者の質問に答え、その約束を守ることを「男子の一言」と表現している。


■[エピソード]ユーモアと感動に満ちた昭和天皇「五つの佳話」/加瀬英明

●昭和天皇は生涯にわたって、ご自分が行なわれたことを自慢されたことなど、一度もなかった。また、終生にわたって名誉や栄誉を求められたことも、まったくなかった。ご自分についてはじつに無欲な方だった。
 天皇は敗戦の年の昭和20年12月に、松村謙三農林大臣を皇居に呼ばれてこういわれた。

 「戦争で塗炭(とたん)の苦しみを受けた国民に、このうえ餓死者を出すことは自分には耐え難い。政府が要請をしたのにもかかわらず、アメリカは食糧を与えてくれないという。だが、考えれば、当方に代償として提供すべき何物もないのだから、いたしかたがあるまい。
 それで聞けば、皇室の御物(ぎょぶつ。天子の所有物、あるいは皇室の所蔵品)のなかには、国際的に価値のあるものが相当あるとのことだから、これを代償としてアメリカに渡して食糧に代えて、国民が飢餓を一日でもしのぐようにしたい」

 そして帝室博物館の館長に命じてつくらせてあった皇室御物の目録を農相に渡された。天皇の意向は幣原喜重郎首相(在任昭和20年10月〜21年5月)を通じてマッカーサーに伝えられた。しかし、マッカーサーは「それは皇室の人気取りだ。そのようなものは必要ない。私が責任を持って、かならず本国から食糧を輸入する方法を講じよう」といって、緊急食糧を日本に放出するようワシントンに求めた。

 昭和54年8月、宮内庁記者団とのご会見のときに、記者団から当時のことについて質問が出された。
 「そういうことがあったのは事実です。しかし、自分のしたことですから、あまり公にしたくはありません」
 これが天皇のご返事であった。

●昭和24年から東宮御教育常時参与となった小泉信三博士は、皇太子(今上天皇)の教育係を引き受けるに当たって、昭和天皇に拝謁した。

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