戦後の昭和天皇を振り返る
2009.02.10 Tuesday 00:26
くっくり
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■[会見秘録]マッカーサーが「思わずキスしようとした」ほど興奮した昭和天皇「男子の一言」/本誌編集部
(昭和20年9月27日、昭和天皇とのマッカーサーとの第一回会見について)記録が公開されず、後に種々の資料が登場したことで、「何が語られたか」が論争になっているのは周知のとおり。もっとも有名なのは、『マッカーサー回想記』(1964年刊)のこの記述だ。
<天皇の口から出たのは、次のような言葉だった。
「私は、国民が戦争遂行するにあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためおたずねした」
私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきでない責任を引き受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私を骨のズイまでゆり動かした>
回想記の出版以前にも、昭和30年9月、重光葵外務大臣が、天皇の言葉を受けたマッカーサーが「私は、これを聞いて、興奮の余り、陛下にキスをしようとしたくらいです」と語ったと紹介している。
こうした発言の真意をめぐり、「作文だ」「日米合作の天皇免責だ」などの意見もあるが、鳥居民氏(歴史研究家)は、「これまでの記録を見れば、発言の輪郭は明らか」という。
「敗戦直後の9月、米国では真珠湾の騙し討ちに対する非難が高まり、国際法規を守ることに気を配っていた天皇を懸念させていました。真珠湾攻撃は東条英機がやったことだが、すべては私に責任があると、天皇はいったのです。
忘れてはならないのは昭和天皇が何を語ったかの議論に隠れている事実です。そもそもマッカーサーに天皇を免責するしないの選択はできませんでした。天皇を免責するという米国の基本方針は1943年に内々に決まり、トルーマンが大統領になっても変わりませんでした。マッカーサーはそれに従ったのです。
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