戦後の昭和天皇を振り返る
2009.02.10 Tuesday 00:26
くっくり
■[ワイド]我が心の昭和天皇 陛下の自然体のご威光を受けながら日本は驚異の復興を遂げた/平沼赳夫
私は終戦の翌年に小学校に入学し、戦後教育を受けた人間である。そのため、一時期は皇室の存在自体に疑問を抱くほどリベラルな思想に染まっていた。だが、中学3年生の頃、谷口雅春氏らの著書を読んで昭和天皇のお人柄、事蹟に触れ、目から鱗が落ちるように感激した。
<中略>全国を行幸されたときのエピソードにも感銘を受けた。例えば、地方によってはまともな宿泊施設がなかったため、焼け残った民間の建物や学校の教室にお泊まりになることも厭わなかった。また炭鉱では労働者が皇室制度に反対する演説をぶとうと待ち受けていたが、いざ昭和天皇がこられると、自然と万歳を唱えていた。昭和天皇の持つ、言いようのないご威光を感じたに違いない。
<中略>今上陛下まで数えれば125代という、世界で唯一無二の家系の重みを背負いながら、一瞬にして人を包み込むおおらかさをお持ちになっている。それがご威光になるのである。そのお姿を間近に拝見するたびに、私には、自然に万歳を唱えた炭鉱労働者たちの気持ちが理解できた。
敗戦、そして復興という、我が国の歴史の中でもとりわけ激動の時代に、昭和天皇という偉大な存在を戴いたことは、日本人にとって幸福なことだった。(談)
■[ワイド]我が心の昭和天皇 日本中が一つの気持ちになった「大喪の礼」の舞台裏/石原信雄
【平成元年2月24日、「大喪の礼」が執り行なわれたこの日は、朝から霙(みぞれ)混じりの雨が降りしきるこの年一番の冬日となった。石原氏は竹下政権下で、事務方の内閣官房長官。それは「大喪の礼」の実務を取り仕切るという大任を与えられることを意味していた】
昭和天皇の御遺骸を載せた霊轜(れいじ)が、会場の新宿御苑に到着する。
「参列者、沿道の人もコートや合羽を着用して構いません」
常に国民を第一に考えていた陛下を思い、そう異例の通達を出していた。しかし、霊轜が近付くと参列していた国民も、警備担当者もコートや合羽を脱ぎ、傘を閉じて拝礼した。ちなみに、後に暗殺されたパキスタンのブット首相は、生前の陛下を偲び、あえて薄着の民族衣装の礼服を身にまとい、翌日、風邪をこじらせた。
<中略>国民は、御不例になって以降、陛下をただ静かに見守り続けた。戦後日本において、天皇陛下に対する自らの気持ちを発露させたのは、このときが初めてではなかったか。
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