戦後の昭和天皇を振り返る

2009.02.10 Tuesday 00:26
くっくり



 宮中祭祀の簡略化は昭和40年代以降、入江相政侍従長が具体的に着手しているが、これは正確には「簡略化」ではなく「破壊」といっていい。
 宮中祭祀は、天皇自らが祭典を執り行なう「大祭」、掌典長(しょうてんちょう)が行ない天皇が拝礼する「小祭」、毎月1日、11日、21日に行なう「旬祭(しゅんさい)」などに分けられる。このうち、まず旬祭が昭和43年に簡略化された。1日は親拝(天皇自ら拝礼すること)だったが、それが5月と10月の年2回に削減された。さらに45年には宮中祭祀第一の重儀である「新嘗祭(にいなめさい。11月23日)が簡略化されている。新嘗祭は天皇が神嘉殿(しんかでん)において新穀を天神地祇に捧げ、自らもお召し上がりになる祭儀であり、「夕(よい)の儀」と「暁の儀」がある。このうち親祭(天皇が自ら執り行なう)は夕の儀のみとし、暁の儀は掌典長が執り行なうこととなった。
 簡素化は続く。<中略>これらは、陛下の「ご高齢」に対する配慮ともいわれるが、果たしてそうか。簡略化が始まる43年、陛下はまだ60代であった。しかも46年にはイギリスなど欧州7か国を訪問し、50年には訪米している。理由は他にあったのではないか。

<中略>昭和天皇は祭祀を重んじたというよりも、歴代天皇がそうであったように、天皇第一のお務めとして、粛々とこなされたのだと拝察する。
 その陛下が、「ご高齢」を理由に簡略化が推し進められる状況をどう思われたのか。明言されていないが、陛下のお心を察することができる言動がいくつかある。前述の通り新嘗祭が簡略化された時、陛下は「これなら何ともないから急にもいくまいが暁(の儀)もやってもいい」とおっしゃったと『入江相政日記 第4巻』(朝日新聞社)に記されている。このお言葉を受けて入江は「ご満足でよかった」と書いているが、そうではないだろう。これは“祭りを正常化せよ”という意思表示であったと捉えるのが自然である。
 実はその翌年から夕の儀も掌典長が執り行なう予定であった。入江日記では57年6月には「お祭りすべてお止めということですっかりお許しを得」たはずなのに、陛下は病床に伏される直前の61年まで親祭(天皇が自ら執り行なう)を貫かれたのだ。
 争わずに受け入れるという至難の帝王学のもとで、最大限抵抗されたのだろう。

 たしかに祭祀はご負担である。例えば新嘗祭では座布団もない硬い畳の上に長時間お座りになり、御直会(おなおらい)をされる。そのため、新嘗祭が近づくと、陛下は居間でテレビをご覧になる時、普段はソファに座ってご覧になるが、座布団を敷いて正座してご覧になっていた。当日は午後3時に始まり、すべての祭儀が終わるのは翌日の午前1時頃だったといわれる。しかし、周囲が「ご高齢」「ご負担」を繰り返したのには違和感を覚える。

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