戦後の昭和天皇を振り返る
2009.02.10 Tuesday 00:26
くっくり
——国民に対するお気遣いも有名でした。
殿下 台風の時など、まず「稲穂の状況と被災民の様子」を常に心配されて、侍従を通してご下問がありました。それは見事に自然な形で発せられるので、地元の人々はこのお言葉を翌日の紙面で知ると勇気づけられますし、奮起するのです。どの災害、事件の時も同じでした。あれほど「公平無私」の心をお持ちの方を私は知りません。
——今の日本の繁栄があるのは、昭和天皇が常に国家の平安を祈られ、国民を激励し続けてこられたからではないでしょうか?
殿下 敗戦国の元首が国民の中に分け入って熱狂的な歓迎を受けるという例は、世界史上皆無でしょう。ここに、他国の王室や皇室とはどうしても比較できない、陛下と国民の間の人間的な絆があるのです。
ある時、過激派への対策として、皇居や赤坂御用地に機動隊のバスがずらりと並んでいたことがありました。それをご覧になった高松伯父様は宮内庁の役人に、
「お前たち、皇室は軍人や警察官に守られて二千数百年も続いたんじゃないぞ。国民に守られてきたんだ。あんなものは即刻撤去せよ!」
とおっしゃり、翌日、すべての配備をときました。もちろん、何も起こりません。
また、伯父様はこうもおっしゃっていました。
「京都御所を見てみなさい。わずか三十センチくらいの疏水が流れているだけで、誰でも乗り越えられるし、どこからでも侵入できる。でも、長い年月、何者にも侵されていない。それは歴代の国民が守ってくれたからだ」
まさにおっしゃる通りだと思います。良識ある国民の総意で万世一系の百二十五代は続いてきたのです。
■[戦後]国民の心を抱きとめ、慈しみ、祈る「記憶の王」昭和天皇の「畏るべき」姿/松本健一
戦後の日本再生のなかで、わたしは昭和天皇のさらなる「畏るべき」要素を垣間見た。
昭和50(1975)年5月、イギリスのエリザベス女王が来日したときのことだった。天皇のアメリカ訪問の半年ほど前である。
エリザベス女王とにこやかに並んで立つ天皇の間には1人の通訳官が立っていた。この通訳官は「二・二六事件」の重要な脇役だった真崎甚三郎大将(軍事参議官。もと教育総監)の息子だった。
このことは何を意味していたのか。二・二六事件を起こした青年将校らを、天皇は「反乱軍」とみなしていた。その事件に関わった人間の息子を自らの通訳として立たせることによって、決起した青年将校のことは許さないが、その心情ぐらいは察してやってもいいとの意志表示ではなかったのか。
[7] << [9] >>
comments (17)
trackbacks (0)
<< 橋下知事就任1年 世論調査まとめと雑感
「アンカー」オバマ苦しい船出&ヒラリー日本に無茶な要求? >>
[0] [top]