戦後の昭和天皇を振り返る
2009.02.10 Tuesday 00:26
くっくり
殿下 二十代の頃でしたが、将来のために陛下とどうしても直接お話をして伺いたいことがあると高松伯父様にお願い申し上げたら、二度実現しました。その時の記憶で特に鮮明なのは、陛下が「自分は半生の中で自らの意見を述べたのは二度ある」と淡々とおっしゃったことでした。一度目が二・二六事件の時、二度目が終戦の時というのです。本来陛下を補弼(ほひつ)する責任を持つ重臣たちが、前者の場合は消息不明であり、後者の場合は意見を伺いたい旨を言上(ごんじょう)したわけで、いずれの場合も陛下ご自身がお動きにならざるを得ない状況におかれたのです。この話は後に陛下が記者会見でも発言されましたが、その時は初めて聞く話でしたから、仰天すると同時に背筋がゾッとしました。
またある時、高松伯父様が「若い者が陛下のところに行ってお話ししろ」とおっしゃるので、私と弟の高円宮の二人で陛下のお側に行きました。私は青少年育成で日本中を回っている時の話を色々申し上げました。自分が直に全国各地の青少年と議論をして聞き出してきた、各地方の特色ある生の声を得意になってご説明したのですが、陛下はみんなお見通しでした。「その地方の若者はこういうことを言わなかったか」と、実に的を射たご下問をなさる。各地の若者たちの悩みや問題点をじつによく把握なさっていました。私は帰りの車の中で高円宮と「これは一体どういうことか、不思議なことがあるものだ」と話し合いました。
——昭和天皇は実に細やかな気配りをなさる方であったと伝え聞いております。
殿下 これはあまり世に出していない話ですが、私が昭和五十五年に結婚(編集部注:信子妃殿下は麻生太郎現首相の実妹)した時に、両陛下をはじめご親族を招いて晩餐会を開いたのです。
義祖母の夏子おばあちゃん、義母の和子女史や義兄の太郎をはじめ、麻生家の親族に列立してもらって、陛下に拝謁を賜りました。父が一人ずつ紹介しようとしたところ、陛下は皆に向かって突然、
「太賀吉は元気でおるか?」
とおっしゃったのです。
実はその時、岳父の麻生太賀吉氏は食道がんで入院中でした。その情報はもちろん陛下のお耳には届いていたのでしょう。それでも陛下のお心遣いに一同言葉にならず、ただポロポロと涙を流すばかりで、とても紹介どころではありませんでした。このような絶妙なタイミングで、思い遣りのお言葉を自然に出されるのが昭和天皇でした。
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