「たけしの“教科書に載らない”日本人の謎」良かったです
2009.01.06 Tuesday 00:51
くっくり
これは法人化している神社の数で、本社に付属する摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)や小さい物を合わせれば20〜30万の神社がある。
八幡=源頼朝が拝んで大ブレイク
(武士の勢力拡大によって広まった)
天神=菅原道真をイメージチェンジで大ブレイク
(もとは祟り神だったがそれは京都だけ。周りの地域では雨を降らして恵みをもたらす農耕の神→鎌倉時代には正直の神→室町時代には連歌の神→戦国時代の終わりには平和の神→江戸時代には寺子屋普及で学問の神)
稲荷=タイアップで全国展開
(空海と手を組んで全国展開につながった。空海は天皇から東寺を賜るが、当時の東寺はまだ有名でなかった。稲荷も国家的なお寺である東寺と結びつきたいと思った)
稲荷の全国展開はどのように行われたか?
まず、地元に稲荷神社を建てたいと思った人は稲荷側に願書と礼金を送る。すると稲荷側から御神体と認可証書が送られ、正式な稲荷神社が建てられた。
稲荷では総本社の京都・伏見稲荷で勧請(かんじょう。神様の霊を分けてもらい別の神社に祀ること)の申請を受け付けていたが、後に江戸にある稲荷神社でも勧請を受け付けるようになり、より簡単に稲荷神社を建てられるようになった。
やがて勧請の取次ぎができ、申請がもっと簡単になった。地元にいながらにして御神体が飛脚によって送られ、今の通販のように手軽に稲荷神社が造れるようになった。
◆陰陽道
「厄払い」は、これまた神社でも大師でもどちらでもいい。
「厄」は「陰陽五行」が元になっている。
古代中国で確立された「陰陽五行説」。
これが古代日本に伝来、その後、日本独自の論理体系で発展を遂げたものが「陰陽道」。
この「陰陽道」こそが神や仏とともに日本人の生活に深く根付いている。
陰陽道による天体観測や干支の組み合わせで知ることができるとされた、これから起こりうる災難や災いが「厄」。
それらを取り除くために行われているのが「厄払い」。
現在、神社や寺などで行われている多くの年間行事…どんど焼き、七草がゆ、節分、ひな祭り、端午の節句、七夕、七五三…は陰陽道の厄払い行事だったのだ。
陰陽道は日本文化の中でどのように定着し、広まったのか?
日本独自の発展を遂げた陰陽道は、当時の日本の最先端科学のような存在だった。天文学、地理学、暦学、占術…。
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