2006.04.01 Saturday 02:38
くっくり
−−さきの大戦に対する歴史的評価は定まっていないのではないか
外務省条約局長時代、私は国会で「国際社会では、あれは侵略戦争だ、というのが評価です」と言った。日本人はその評価に異論があるかもしれないが、国際社会の判断はすでに下されている。米国に日本の首相が「あの戦争は自衛のための戦争だった」と言ったら、日米関係はもたない。
人類の歴史は、残念ながら常に戦争を繰り返してきた。その歴史は、ほとんど戦争に勝った側が書いている。負けた人からは「公平ではない」と思えるかもしれないが、勝者が書いた歴史が歴史として受け入れられている。そのことを日本人は受け入れないといけない。
被害者と加害者、単純には割りきれない
栗山氏は対中、対韓外交が行き詰まっているように言うが、小泉首相が靖国神社を参拝する前までが、いささか異常だったのではないか。戦後、日本は慰安婦問題や教科書問題などで要らざる謝罪をしてしまった。その総決算が平成七年の「痛切な反省と心からのおわび」の「村山談話」だ。首相はその路線に乗ってはいるが、靖国問題はそれを正しい方向に修正する一つの動きだと思う。「内政干渉に対してまで謝罪できない」ときちんと示すことで、中長期的には主権国家同士の付き合いができる。
栗山氏の歴史観は、満州事変とその少し前から昭和二十年の敗戦までの日中関係だけに限定して、ものを言っているようだ。日本を戦争へと導いたのは何か、満州事変がなぜ起こったのか。それ以前の歴史を調べないといけない。日中関係、米国のアジア政策、そして旧ソ連のアジア政策という三つの観点から歴史を総合的に見ないと正しい歴史観は生まれない。あの戦争は多面的で「被害者と加害者」という単純な方程式で割り切るには複雑すぎる。
栗山氏は論文で「自衛隊は立派な軍事力だ」と言うが、ハード面、兵器だけしか見ていない。自衛隊はソフト面で旧軍隊とは似ても似つかない。自衛隊法は警察法体系に準じていて、海外派遣するにも特別法を作らないと何もできない。これを、民主主義の下で普通の軍隊にしようという憲法改正の動きがなぜナショナリズムなのか。
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