2006.05.27 Saturday 03:17
くっくり
小泉純一郎首相の靖国参拝はいまや現代の政治課題にされてしまったが、その靖国問題に少し距離を置き、歴史をさかのぼってみよう。一般に靖国をめぐる論議は戦後だけのことと思われているが、実際には戦前の一九三〇年代にも似た現象があった。三〇年代の日本といえば、多くの歴史学者は個人の自由が抑制され、とくに宗教の自由は国家神道で阻害され、なかでも日本のキリスト教徒たちの自由や権利が、靖国神社により侵されていたとみなしがちな時代である。
だが、現実はそうではなかった。日本では明治憲法で保障された宗教の自由が第二次大戦中までも保たれた。戦時の日本の政界や学会では今中次磨、田中耕太郎両氏らキリスト教徒が活躍した。そんな時代の一九三二年五月、上智大学のカトリック信徒の学生達が軍事訓練中に靖国への参拝を命じられたのを拒み、その拒否を同大学のホフマン学長も支持するという出来事があった。参拝が宗教の押し付けになりかねないという懸念からだった。
だが、東京地区のシャンボン大司教が文部省や陸軍省に参拝が宗教的行事かどうかを正式に問うたところ、「参拝は教育上の理由で、愛国心と忠誠を表すだけで、宗教的な慣行ではない」との回答を得た。これを受け、ローマ教皇庁は三六年五月に日本の信徒に向け、「靖国参拝は宗教的行動でないため日本のカトリック信徒は自由に参拝してよい」という通達を出した。
その結果、日本カトリック教徒は自由に靖国を参拝するようになったが、ローマ教皇庁が事実上の独立国家として日本政府の「靖国参拝は宗教的慣行でない」という見解を尊重したことの意味は大きい。日本国民の自国への独自の価値観や愛国心をそのまま認めたということだからだ。日本という主権国家の内部での慣行への尊重だといえる。さらに重要なのは教皇庁が戦後の一九五一年にも三六年の靖国参拝に関する決定を再確認し、現在に至っているという事実である。
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