百人斬り訴訟と靖国合祀中止訴訟

2006.05.25 Thursday 20:00
くっくり



 でも客観的に見れば、こんな記事はすぐウソだとわかりますよね。百人も斬るなんてまず物理的に無理ですし、南京攻略戦は銃撃戦が主で、日本刀による“殺人ゲーム”なんか起こり得ない状況だったんですから。
 なのにそれがこの裁判では、「当時『百人斬り』と報道される競争をした事実は否定できず、記事は虚偽とは言えない」となってしまう。

 それにしても本多勝一。この男だけは絶対許せん!(-.-#)
 本多勝一は『中国の旅』(昭和46年に朝日新聞で記事連載、その後朝日新聞社から単行本、文庫本として発行)に、中国共産党側から提供された中国人の証言を検証もせずに載せました。
 中国人の証言、それは「日本でも当時一部で報道されたという有名な話なのですが」という前置きで語られた、二人の日本兵による「中国人(民間人)の百人斬り」でした(この時、野田毅少尉と向井敏明少尉の実名は出さず、「N」「M」という表記にされていました)。

 この時点でおかしい。戦中の毎日新聞の記事は「戦闘中の行為」だったのに、『中国の旅』では「民間人虐殺」に変化してる。しかも、本多勝一の言い分は「中国人の証言通りに書いただけ」。ジャーナリスト失格。
 その後、本多勝一の主張は、昭和61年発行の『南京への道』で、「捕虜の据えもの百人斬り」に変化。平成11年発行の『南京大虐殺否定論13のウソ』の中でも、同じ主張をしています。

 本多勝一が「捕虜の据えもの百人斬り」と主張した根拠は二つあるようです。
 まず、雑誌『中国』昭和46年12月号に掲載された志々目彰氏の小学校時の体験談。昭和14年春に母校に来た野田少尉がそのような話をしたと。
 また、「捕虜の据えもの斬りは支那事変当時極めてありふれた現象だった」という●野晋太郎(●=弟へんに鳥)の記述。
 が、志々目証言は子供時代の記憶。●野氏の記述は単なる一般論。

 それプラス、この裁判の過程で出てきた新資料があります。野田・向井両少尉と同じ大隊に所属していた望月五三郎の手記『私の支那事変(私家版)』。
 が、こちらもほぼ半世紀後の昭和60年に、記憶によって書かれた回想記で、つじつまの合わない記述や完全な間違いが200箇所もあります(原告側の指摘による)。

 とにかく、元記事を後付けの解釈でどんどん変化させていったデタラメな記述を、「それぞれの記述は全く虚偽とは言えない」なんて判断されたら、もう書いたもん勝ちの世界じゃないですか。書かれた方の身にもなれよ。ご遺族は未だに苦しんでいるんですよ。

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