2008.11.08 Saturday 00:43
くっくり
実はその瞬間に、今日の事態を予感した。内容が正論であっても、現職の自衛隊トップの論文となればただではすまない。政治記者時代の直感が働いた。
元谷氏が田母神氏に確認するという手順を経て、最優秀賞に決まった。田母神氏はそれなりの覚悟と信念を持って書いたのだった。
もう大騒ぎしなくてもすむ時代になったのかもしれない、というかすかな期待感はあった。だが、やはりだめだった。
朝日新聞の社説は「ぞっとする自衛官の暴走」とあった。その見出しにこちらがぞっとした。「自虐史観」「東京裁判史観」にがんじがらめになっているメディアの実態がそこにあった。
解散時期をめぐる与野党攻防で、野党側は格好の攻撃材料を手中にした。「日本人よ、誇りを取り戻そう」という田母神氏の訴えは、政局の渦に飲み込まれることになる。
田母神氏は「第2の栗栖」として歴史に残ることになった。統幕議長だった栗栖弘臣氏は昭和53年、自衛隊法の欠陥をついた「超法規発言」で更迭された。25年後の平成15年、武力攻撃事態対処法が成立した。栗栖氏はこれを見届け、その翌年に84歳で死去している。
田母神氏には、堂々粛々と更迭処分を受け、自由な立場で所論を貫いてほしいと願う以外にない。
(客員編集委員 花岡信昭)ご意見などは次のブログへどうぞhttp://hanasan.iza.ne.jp/blog/
自民党防衛族の議員。
「麻生総理も浜田防衛大臣も、その信条はよく理解している。泣いて馬謖を斬る・・・・との心境であろう。そこを理解してほしい」
自民党若手議員。
「以前、憲法論議をしてもいいといっただけで、クビを切られた防衛庁長官がいた。しかし、今では憲法改正の有無はおいておいても、憲法論議そのものを否定する人はない。田母神氏の論文も将来は同じことになるだろう。歴史は時代がたてば新しい史実や資料がでてくる。それをもとにして歴史検証をするのは、当然のこと。その学問的な自由まで否定するかのような論調には辟易する。与野党の政治駆け引きのなかで、結局、自衛隊は腫れ物にさわるように扱われてきた。これからもそう扱われるのだろうか」
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