「雷」工藤艦長の武士道精神とサー・フォールの報恩
2008.11.03 Monday 02:46
くっくり
1998年(平成10年)4月、今上陛下が翌月にイギリスを訪問されることが発表された時にも、そういった元捕虜たちが戦争責任を今上陛下にまで転嫁し、ご訪英を阻止しようとしたそうです。
そんな中、サー・フォールは「ザ・タイムズ」1998年4月29日号に論考を掲載し、工藤艦長の行為を紹介しながら、「友軍以上の厚遇を受けた」と記述し、日本との和解を主張しました。
この行為自体が、当時のイギリスでは大変勇気を要するものだったそうです。
サー・フォールの論考はイギリスの読者に感銘を与えました。それ以降、元捕虜たちの活動は急速にトーンダウンしたそうです。
サー・フォールが貢献したのは、日英友好だけではありません。
1987年(昭和62年)5月、東芝ココム違反事件が発覚し、日米関係は緊張していました。
当時は冷戦下で、米ソ両国が互いに核ミサイルを照準しながら世界各地でしのぎを削っていた時期でした。アメリカ国民は日本を「安保ただ乗り」と批判、対日貿易赤字の拡大と相まって反日運動が各地で起こっていました。
ところが米海軍とアーレー・バーク大将ら提督たちは、帝国海軍の後継である海自を称賛し日本擁護に回ったのです。
なぜか?実はこの年、米海軍はその機関紙「プロシーディングス」新年号で、サー・フォールが「chivalry(騎士道)」というタイトルで工藤艦長の救助劇を称賛した論文を特集していたのです。
サー・フォールは日米友好にも貢献してくれたのです。
サー・フォールは戦後、外交官として活躍する傍ら、恩人の工藤艦長の消息を捜し続けました。
その工藤艦長ですが、救出劇の約5カ月後の1942年(昭和17年)8月、駆逐艦「響」艦長に就任しました。
「雷」の方はと言いますと、残念ながら1944年(昭和19年)4月13日、船団護衛中にグアム島の西で米潜水艦の雷撃を受け沈没、乗員全員が戦死。
工藤艦長は1944年11月から体調を崩し、翌年3月15日に待命となり、そのまま終戦を迎えたそうです。
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