「雷」工藤艦長の武士道精神とサー・フォールの報恩

2008.11.03 Monday 02:46
くっくり



 サー・フォールは、この光景に「自分は夢を見ているのではないか」と何度も腕をつねったと言う。それだけではない、救助活動が終了した頃、「雷」艦長は英海軍士官だけを前甲板に集めた。そしてこう英語でスピーチしたのである。

 「自分は英王立海軍を尊敬している。今回貴官らは勇敢に戦った。貴官たちは今日は帝国海軍のゲストである」

 そして彼らに士官室の使用を許し友軍以上の処遇を行った。NHKのリポーターは、興奮を抑えながらも、なぜこのような美談が戦後の日本に伝わらなかったのか不思議でならないと発言して中継を終えた。さらに彼は、サー・フォールが、「これこそ日本武士道の実践」と発言したことをも付言していた。

 NHKもたまにはいい放送しますね(^_^;

 恵隆之介氏はこの放送に感銘を受け、史実を詳細に調査し記録する作業に入ったそうです。そして2006年、【敵兵を救助せよ!―英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長】にまとめられ出版されました。

 当時の時代背景については、皆さんも概ねご存知でしょう。
 対米英戦において、帝国海軍は日露戦争の頃とは比べものにならないハンディを背負いながらの開戦となりました。

 大東亜戦争開戦時、国力は日中戦争で消耗しており、日露戦争時のように軍資金や燃料のストックもないばかりか、1941年(昭和16年)8月1日にはアメリカが対日石油全面禁輸処置を発動しました。
 当時日本政府や商社は何とか石油を確保しようと世界を回ったのですが、英米の圧力によって日本に石油を売ってくれる企業はどこにもありませんでした。

 このような厳しい状況下で、工藤艦長や部下たちはこれだけの人道的処置を行ったのです。まさに「武士道精神」と言えましょう。


image[081103-sir.jpeg] サー・フォールは戦後、外交官として活躍。そして日英友好のために様々な働きをされました。

 日英関係は戦後、概ね順調ですが、実は大東亜戦争中に日本軍の捕虜となったイギリス軍将兵の一部が、その処遇を恨んで今でも反日運動を展開しています。
 (国際法上、講和条約成立をもって解決済みの問題であるのに、1993年(平成5年)に細川護煕首相がイギリス人元捕虜に謝罪し、「在英の日本企業に賠償させる」と発言。以来、泥沼化した)

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