河野洋平〜特定アジアにおける輝かしい功績(加筆)
2008.09.30 Tuesday 00:56
くっくり
その後、「台湾の地を一歩も踏まなかった」ことを日中友好の証として中国の銭外相(当時)に語った。
……議員だけでなく日本人も辞めて下さい(-.-#)(-.-#)
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●李登輝・前総統の訪日ビザ問題 平成13年(2001年)
平成13年(2001年)4月10日、台湾の李登輝・前総統が訪日ビザを申請。河野は外務省とともにビザ発給を渋った。
森喜郎首相(当時)が「これは私の命令だ」とまで言ってビザを出すよう指示したにもかかわらず、親中派の橋本龍太郎や野中広務幹事長(当時)の後押しを受けた河野は、外務大臣辞任をほのめかしてまで抵抗した。
中国も駐日大使を官邸に押し掛けさせるなどの露骨な内政干渉を展開。
日本の各新聞は「ビザ発給すべき」の立場で足並みをそろえた。朝日新聞でさえ、「政治活動では困るが、一人の民間人としてビザを発給するのが自然。ビザ問題をいたずらに政治化してはならない」と政府側に注文した。
結局、4月18日の記者会見で首相退陣を表明した森首相が、李登輝氏にビザを出すよう外務省に命じたことを明らかにしたため、外務省はやむなくビザを発給、李登輝氏の訪日が実現した。
……日本人だけでなく人間も辞めて下さい(-.-#)(-.-#)(-.-#)
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●「日本の過ちにより原爆が投下された」と発言 平成14年(2005年)
2005年8月6日、衆院議長・河野洋平は、広島で行われた平和記念式典においてスピーチを行いました。
スピーチ内容はこの日、報道関係に配られました。評論家の森田敬一郎氏がその後入手し、ブログにUPされています。一部引用させていただきます。
ここ、広島平和公園の慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています。この「過ち」とは何でしょうか。
一つは、わが国、日本が明治維新以後、60年前の原爆投下の日まで、アジアの中で針路を誤り戦争への道を歩んだことであると思います。欧米列強から独立を守るため、明治維新で近代化を成し遂げたわが国には、「アジア諸国が独立と民主主義を求める戦いに連帯する」という「もう一つの選択肢」があったにもかかわらず、実際に歩んだのは「日清・日露戦争後に韓国の独立を奪い、中国に軍事介入し、自らの支配を押しつけ」ようとする、欧米列強と同じ帝国主義の道でした。
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