「アンカー」竹島問題&どうなる内閣改造
2008.07.17 Thursday 02:09
くっくり
山本浩之
「教えられてないし、だって(笑)」
村西利恵
「知りようがない」
青山繁晴
「ええ。義務教育までにですね、竹島っていう言葉が1回も出てこないのに、どうして子供たち、知ってるんですか?と。我が日本国民や若い人がバカなんじゃなくて、それは今まで入れてこなかったことが悪いんですよ。ということはですね、福田政権はこのことを国民に対して、いや、韓国とどうとか、そういう外交とごちゃごちゃにするんじゃなくて、あくまでこれは教育の話ですと、福田総理も、それから政府のスポークスマンである町村官房長官も言うべきだったですね。みんなここまで分かっていただけたと思うんですが、客観的事実として町村さんはどう言ったか?こうおっしゃったわけです」
image[080716-14mati.jpeg]村西利恵
「はい。14日の会見でこのように話しています。『日韓関係の配慮とでも言いましょうか。できるだけギクシャクしないようにしたいという日本政府の意図の表れ…』」
山本浩之
「これ、びっくりしたねー」
青山繁晴
「これね、これはね、ほんとにショッキングな致命的な発言でね。これ何か丸めて言ったつもりかもしれないけど、この町村官房長官って福田政権の公式スポークスマン、しかも次期総理も狙ってる人がですよ、ほんとは福田さんより先にやりたかったぐらいの人がですよ、この教科書について日韓関係に配慮したんです、ギクシャクしないそういう意図を持ってたんです、日本国の教育は外国の意見を聞かなきゃいけないんです、現に聞きました、ってことを言ってしまった。これは本当に致命的な、福田外交のいわば大失敗ですよね。で、その上でですね、でもいちおう念のためね、竹島っていうのはほんとはどういうことなのかなっていうのを、公平にちょっと整理しときましょう。はい、ちょっと出して下さい」
image[080716-15map.jpeg]村西利恵
「はい。地図でご覧下さい」
青山繁晴
「はい。地図と年表で見てほしいんですけども、これもちろん大まかな話ですけどね。まず、江戸時代の初期の頃ですけど、17世紀中にすでに日本は竹島を自国の領土として領有権を確立してました。つまりここを拠点に、当時のここ、幕藩体制ですけどね、江戸時代ですから。その漁業を含めて竹島を自分の領土にしてました。で、改めて1905年にこれを閣議決定で、つまり近代日本になって、明治維新の後にですね、島根県に編入したのが1905年なんですね。で、その後、40年後に日本の敗戦があるんですが、この途中にですね、竹島に直接関係ないから字では書かなかったけど、1910年に日本が韓国を併合してしまったと。日韓併合がありますね。で、それについて韓国は『だから1905年に竹島を島根県に入れたのが、韓国を呑み込む、韓国を併合する始まりだ』と。『だから竹島は韓国の物だ』と言ってるわけです。それ、めちゃくちゃな話で、これは歴史的な書物から、ちゃんと江戸時代の初期からもう竹島は日本の物ですから。ね。韓国を併合したのは事実ですよ。間違いない事実ですが、(竹島は)日本の物ですから。韓国の物を併合するという話と全然違うわけです。違うからですね、日本が敗戦した後に、ここ(1952年4月)に日本の独立が回復した。7年後に日本は独立回復しましたね。1952年の4月にサンフランシスコ講和条約が発効、効き目を現して、日本は元通り独立国に戻りました。このサンフランシスコ講和条約の中に何が書いてあるかというと、これは、日本は独立を回復するにあたって、この韓国本体と、それからたとえばこのへんに鬱陵島ってありますけど、鬱陵島とか、それから済州島とか、そういう物を韓国に返還しますと書いてあるんです。で、竹島は入ってません、条約の中に。何でかというと、竹島は国際社会が認める通り、もともと日本の物だから。韓国に返すって話じゃないわけですよ。それを韓国自身がよく分かってたから、実は当時の李承晩というもともと反日で有名だった大統領が、この(日本独立回復後の)3カ月前に、突然、李承晩ラインというのを勝手に引いたんですよ。どう引いたかというと、竹島を韓国側に入れちゃったわけですよ。ね。日本が独立を回復しない、まだ物を言えない時代にこれをやってしまった」
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