外国人から見た日本と日本人(6)

2008.06.03 Tuesday 01:12
くっくり


 私は22歳の時(1962年)、空手修業のために初めて日本に来ました。それまで北極の調査をしていたので、日本の梅雨時の空手道場の湿度と温度は拷問でした(笑)。
 そんな私を見て、道場の先輩たちが『涼しいところに連れて行ってやる』と言ってくれた。当時、まだ日本語が不自由だったのではっきりした名前は覚えていませんが、確か長野県のブナの原生林でした。
 原生林に入ったら、私は涙を流してしまいました。ブナはケルト人にとっての水の神様の木です。そのブナの原生林でこれほど美しい森は初めてで、感動した嬉しさと、我々の国にはないという口惜しさで泣いてしまったんです」

花田
「先輩たちはさぞや驚いたでしょう」

ニコル
「男泣きでした(笑)。理由を問われても説明できなかったでしょうけどね」

花田
「第二次大戦が終わり日本に帰って来た兵士たちが、船が日本に近づき山々の緑が見えてきた時『こんな美しい風景は他にない』と感動したそうですね」

ニコル
「ジャングルとは違いますよ。アフリカの原生林も逞しいし、すばらしいのですが、日本の森の方が美しい。私が言うのだから間違いない(笑)。
 北は知床、南は西表(いりおもて)、日本ほど多様性に富んだ森、言うならば『財産』を持っている国は他にありません。アマゾンも種類が多いと言われますが、遺伝子でいえば日本の方が多いと思います。
 日本は何回も恐ろしい時期から立ち直りました。最後は第二次世界大戦です。資源がないと言われているのに、こんなに豊かになった。それはどうしてか?やっぱり美しい自然があったからだと思います。
 日本は戦争で家を焼かれた。戦後、家を建て直そうとしても、外国の材木は買えないから自国の木を大量に使いました。しかし、それ以上に台無しにし始めたのは高度経済成長の時からです。オリンピック後の林野庁が日本の森を破壊した。
 私は45年前から日本の森を歩いています。日本を愛しています。大好きなカナダを捨て、日本の国籍をいただきました。私から日本には何も教えられませんが、『ひいおばあさんの時代を思い出してください』と言えます。60年前に若者たちはなぜ特攻隊として死んでいったのか。アラーの待つ天国に行くためではなく、自分の家族、この美しい日本を守るためでしょう。その美しい自然を壊す権利が誰にあるというのですか」


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