外国人から見た日本と日本人(6)

2008.06.03 Tuesday 01:12
くっくり


司馬遼太郎対話選集1「この国のはじまりについて/司馬遼太郎Vsライシャワー」文芸春秋より

 徳川期の今日の日本に対する遺産として、非常に重要なものは、以下の二つだろうと私は思っています。一つは・・・明治維新以降、非常に急激な変化に日本は見舞われたわけですし、おそらく他の国には例を見なかったほどの激しい変化にさらされたにも拘らず、徳川時代に養われた日本人の秩序感覚というものが見事に生かされまして、巨大な変革を、秩序正しくのりきっていくことを可能にした。これはやはり私は大きな遺産であると思うんですね。

 今ひとつは、その二百数十年の間には、いろいろな階層、身分と申しますか、あるいは藩組織というものの各段階で、相当程度自治ということが行われていた。自治の感覚というのが、私は非常に素晴らしかったと思うんです。いろんな制約条件はあるにせよ、藩が一つの自治組織であったことは間違いないと思います。

■ジョイス・C・レプラ=アメリカ人。コロラド大学歴史学部教授。
「東南アジアの解放と日本の遺産」1981年発行より

 日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味をもっていた。いまや真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮び上がってきたのである。民族主義者は、日本占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。

■ダライ・ラマ14世=チベット人の国家的、精神的指導者。2歳の時にダライ・ラマ法王13世の転生者であるとの認定を受けた。1949年(昭和24年)の中国によるチベット侵攻後、全政治的権限が委任されたが、1959年(昭和34年)、中国軍がラサ市民の武装決起を残虐な方法で弾圧、これにより国外への脱出を余儀なくされた。以来、現在までインド北部のダラムサラにおいて、チベット亡命政府の元首としての立場を保っている。チベットの自由化のために非暴力による闘争を選択、1989年(平成元年)にはノーベル平和賞を受賞。世界各地をたびたび訪れ、講演など活発に行っている。

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