外国人から見た日本と日本人(6)

2008.06.03 Tuesday 01:12
くっくり



 私たちは自然を征服することを考えた。日本人は自然を敬い、たいせつにした。私たちは森林と土地に恵まれていたから、自然は挑戦相手だった。木とは土地を拓くために取り除くべきものだった。あるいは、木材として紙として、やがては新繊維として活用すべきものだった。

 日本人は土地に恵まれていなかったから、もっているものを崇め保存し、自然崇拝を彼らの宗教、社会、政治の主要な柱とした。伝統神道の多くの神事は、肉体的満足の対象である食べ物と、精神的満足の対象である美をもたらしてくれる自然に感謝する儀式だった。私たちは土地がありすぎたから、広大な地域を砂漠にしてしまうまで、保存の必要性を感じなかった。日本人はもっているものが少なかったからたいせつにした。二千年にわたって耕してきたいまでも、彼らの小さな島は肥沃であり、森や田畑はさながら手入れの行き届いた菜園である。

 私たちは自分たちのエネルギーを、国土の開発に、領土の拡張に、貿易に、私たちの行動と生産に役だつものすべてをつくり出すことに注ぎ込んだ。日本人は貿易や拡張にではなく、自己規律に、そして風変わりな、劇場的な、複雑な、様式化された文明を完成させることに、エネルギーを注ぎ込んだ。その文明はアメリカ的な生活様式ではなく、むしろ中国古典劇に似ているのである。

 私たちは利用できる手段は何でももっていた。私たちは膨大な資源を活かし、世界最高の社会的、政治的自由を発展させ、機械化と大量生産技術を開発して広大な土地に住むことの不利を克服した。これが私たちの才能である。

 日本人は利用できる手段に限りがあった。彼らは規制集団を編成し、物に依存しないことを基本に、社会を発展させていった。にもかかわらず、文明は未開の単調さに陥ることなく、様式美をもち、洗練されており、装飾的である。これが日本人の才能なのだ。

■ヘレン・ミアーズ=アメリカ人。東洋学者。1920年代から日米が開戦する直前まで2度にわたって中国と日本を訪れる。1946年(昭和21年)に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わった。
「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より

 文化と歴史を測る客観的判断基準は、その社会環境の中で経済・社会問題がどのように解決されたか、その文明が隣接国に対して侵略的だったか否か、の二点である。この点から判定すると、日本の伝統文明は高く評価されていい。

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