2008.06.03 Tuesday 01:12
くっくり
「日中戦争見聞記―1939年のアジア」より
1939年、北京での記述
中国はその大きさにもかかわらず、また膨大な人口にもかかわらず、基本となるのはあいかわらず平原である。ここでは異国の征服者が利得を追求し、また中国人同士が干戈を交えてきたのだ。
フビライ汗のころもそうであったし、今も再びそうである。もともと日中戦争という言い方は正しくない。むしろこれは中国における中国をめぐる戦争である。日本人はまったく宣伝が下手であり、たとえ彼らに言い分があっても、全世界は信じようとしない。わたしの見解によれば、自分たちは中国の民衆を相手に戦っているのではないという日本人の主張は正しい。日本人は単に中国人をけっして敵視していないばかりでなく、中国内部でも、少なくとも部分的には中国人が日本人を敵視していないケースが見受けられる。さもなければ、北京のような百万都市でも、一般に市街地には入ってゆかないことになっているわずか数千人の日本軍しか駐屯していないことをいかように解釈すべきであろう?
「北京の征服」は、日本の兵士を満載した数台のトラックが入城し、数百万の中国人がそれに甘んじた時に始まった。その状況は今日までそのまま残っている。
わたしは夜となく昼となく北京市内を歩きまわった。そしてわたしはこの都市で秩序と安寧が危険にさらされているとか、あるいは暴動が起きるかも知れないなどと、少しも考えたことはなかった。街頭では中国人の警官が職責を果たしている。
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