外国人から見た日本と日本人(6)

2008.06.03 Tuesday 01:12
くっくり


■コリン・ロス=ウィーン生まれ。1938年(昭和13年)3月の独墺合邦以後「ドイツ人」となった。第一次大戦のときオーストリア新聞特派員として活躍し、その後、アジア、アフリカ、南北アメリカの各地を旅行し、政治、経済に関する論文やその旅行記を書くとともに、映画制作にあたった。1939年(昭和14年)来日。
「日中戦争見聞記―1939年のアジア」より
 1939年、北京での記述

 中国はその大きさにもかかわらず、また膨大な人口にもかかわらず、基本となるのはあいかわらず平原である。ここでは異国の征服者が利得を追求し、また中国人同士が干戈を交えてきたのだ。

 フビライ汗のころもそうであったし、今も再びそうである。もともと日中戦争という言い方は正しくない。むしろこれは中国における中国をめぐる戦争である。日本人はまったく宣伝が下手であり、たとえ彼らに言い分があっても、全世界は信じようとしない。わたしの見解によれば、自分たちは中国の民衆を相手に戦っているのではないという日本人の主張は正しい。日本人は単に中国人をけっして敵視していないばかりでなく、中国内部でも、少なくとも部分的には中国人が日本人を敵視していないケースが見受けられる。さもなければ、北京のような百万都市でも、一般に市街地には入ってゆかないことになっているわずか数千人の日本軍しか駐屯していないことをいかように解釈すべきであろう?

 「北京の征服」は、日本の兵士を満載した数台のトラックが入城し、数百万の中国人がそれに甘んじた時に始まった。その状況は今日までそのまま残っている。

 わたしは夜となく昼となく北京市内を歩きまわった。そしてわたしはこの都市で秩序と安寧が危険にさらされているとか、あるいは暴動が起きるかも知れないなどと、少しも考えたことはなかった。街頭では中国人の警官が職責を果たしている。

■ヘレン・ミアーズ=アメリカ人。東洋学者。1920年代から日米が開戦する直前まで2度にわたって中国と日本を訪れる。1946年(昭和21年)に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わった。

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