外国人から見た日本と日本人(6)

2008.06.03 Tuesday 01:12
くっくり



 また、あとがきにはこういうくだりもあります。

 蒋介石政府が、日本と軍事的に結びついていたドイツ人著述家であるロスに、雲南から重慶入りを許したのはなぜだろう。それはロスが、かねてから中国に対し同情的立場を示していたことが好い印象を与えたからであろう。しかし、それとともにドイツ政府自体が、蒋介石政府にかなり友好的態度をとっていたからであろう。

 つまり、訳者はロスを「親日的」であると同時に「親中的」でもあると言っているわけです。
 ロスが「親日的」であるという訳者の評価は、「日本軍の残虐行為を描写したラーベ」と比較してのものにすぎず、あくまで主観にすぎないのではないかと私は感じました。

 不自然なのは、ロスが満州国における日本の頑張りを評価している(しかもかなりのページを割いて記述している)ことについて、訳者があとがきで全く触れていないことです。
 ロスが「親日的」だと言うのなら、その理由として、このことを真っ先に挙げてもおかしくないのですが。
 逆に言えば、訳者はロスが満州国を評価していることが気に入らなくて、だから「親日的」だとレッテル貼りをしたかったのもしれません。

 もう一つ、私が注目したのは、田中メモランダム(田中上奏文)です。これを本物であるという前提で、ロスが記述をしている箇所があります。
 田中上奏文は発表当初から偽書ではないかという指摘がされており、現在では、中国側が流布した偽書であることが定説になっています。
 1939年当時、ロスが田中上奏文を信じていたとしても仕方ないでしょうが、私がここで問題にしたいのは、訳者の姿勢です。

 本文で田中上奏文が出てくる箇所(この箇所の訳者は金森氏)、注釈には「陸軍大将、内閣総理大臣田中義一の上奏文といわれる文書で、昭和2年の東方会議で決定された大陸政策の基本方針を記している。中国側によって暴露された」とあるだけで、訳者はこれが偽書である可能性には全く言及していません。

 このあとがきはごく最近、つまり講談社学術文庫から刊行された際(2003年)に書かれたものです。訳者も当然、田中上奏文の怪しさについて耳にしていたはずです。
 もちろん今でも田中上奏文を信じている人はいるでしょうし、訳者もひょっとしたらそういう考え方なのかもしれません。

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