外国人から見た日本と日本人(6)

2008.06.03 Tuesday 01:12
くっくり


「ウェストンの明治見聞記―知られざる日本を旅して」1925年(大正14年)出版より

 明日の日本が、外面的な物質的進歩と革新の分野において、今日の日本よりはるかに富んだ、おそらくある点ではよりよい国になるのは確かなことだろう。しかし、昨日の日本がそうであったように、昔のように素朴で絵のように美しい国になることはけっしてあるまい。

■エドウィン・アーノルド=イギリス人。詩人。1889年(明治22年)11月来日。インドのデカン大学の学長を務め、帰英後はデーリーテレグラフ紙の編集者。
明治22年、日本の聴衆を前に語った言葉より(出典:Seas and Lands/London(洋書))

 私はこう言いたい。あなたがたの文明は隔離されたアジア的生活の落着いた雰囲気の中で育ってきた文明なのです。そしてその文明は、競い合う諸国家の衝突と騒動のただ中に住むわれわれに対して、命をよみがえらせるようなやすらぎと満足を授けてくれる美しい特質をはぐくんできたのです。

〈中略〉寺院や妖精じみた庭園の水蓮の花咲く池の数々のほとりで、鎌倉や日光の美しい田園風景のただ中で、長く続く荘重な杉並木のもとで、神秘で夢見るような神社の中で、茶屋の真白な畳の上で、生き生きとした縁日の中で、さらにまたあなたの国のまどろむ湖のほとりや堂々たる山々のもとで、私はこれまでにないほど、わがヨーロッパの生活の騒々しさと粗野さとから救われた気がしているのです。

■コリン・ロス=ウィーン生まれ。1938年(昭和13年)3月の独墺合邦以後「ドイツ人」となった。第一次大戦のときオーストリア新聞特派員として活躍し、その後、アジア、アフリカ、南北アメリカの各地を旅行し、政治、経済に関する論文やその旅行記を書くとともに、映画制作にあたった。1939年(昭和14年)来日。
「日中戦争見聞記―1939年のアジア」より
 1939年(昭和14年)、神戸から下関に向けて自動車で走行中の出来事についての記述

 日本の素朴な民衆は、全世界でもっとも友好的で上品な民衆の一つだ。彼らに接して受ける印象は、けっして表面的な上品さではなく心からなる親切の表れである。

 わたしたちは一度ならずこのことを確かめる機会に巡り合った。道路事情があまりにも悪いため、わたしたちは時には草原あるいは畑に車をはまり込ませてしまうことがあった。しばしば狭い村道に入り込んで文字通り万事休すということもあった。

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