外国人から見た日本と日本人(6)

2008.06.03 Tuesday 01:12
くっくり


 
■ラザフォード・オールコック=イギリス人。中国駐在領事を務めた後、初代駐日公使。1859年(安政6年)日本に着任。封建的日本の忌憚ない批判者だった。
「大君の都」より(但しこの部分は原著「The Capital of The Tycoon. A Narrative of a Three Years' Residence in Japan, 2 vols, London, 1863」による)
 神奈川周辺の田園についての記述

 手入れのゆきとどいた高い生垣や垣根はまだ葉がびっしりとついており、オランダ造園風に刈りこまれ整えられている。何と感嘆すべき植えつけ、刈りこみであることか。英国以外のどんなところでも、こんな生垣にはお目にかかれない。いやブリテン島でだって、こんな多様さは見出せない。ここに低い生垣がある。いや茶の木でできた鏡といったほうがよかろうか。三フィートほどの高さのしげみが二つ三つ、よく繁っている。ふつうの花がつく椿に似ていないこともない。というのはおなじ種なのだから。さあ、すばいもも(訳文ママ)の垣根に囲まれたところにやって来た。柘榴の生垣がある。中には背の高いオレンジの木が黄金の実をつけている。そしてさらに奇妙なことに、今日は十一月二十五日というのに、一本の桜が花盛りなのだ。おお幸せな土地よ、楽しき国よ。

■ウィリアム・グレイ・ディクソン=イギリス人。1876年(明治9年)に来日し、工部大学校(現在の東京大学工学部の前身の一つ)の教師を務めた。
「The Land of the Morning(Edinburgh, 1882)」(洋書)より
 東京の街頭風景を描写した後の記述

 ひとつの事実がたちどころに明白になる。つまり上機嫌な様子がゆきわたっているのだ。群衆のあいだでこれほど目につくことはない。彼らは明らかに世の中の苦労をあまり気にしていないのだ。彼らは生活のきびしい現実に対して、ヨーロッパ人ほど敏感ではないらしい。西洋の都会の群衆によく見かける心労にひしがれた顔つきなど全く見られない。頭をまるめた老婆からきゃっきゃっと笑っている赤児にいたるまで、彼ら群衆はにこやかに満ち足りている。彼ら老若男女を見ていると、世の中には悲哀など存在しないかに思われてくる。

※なおディクソンは、こういう日本人の感じのよさが、日本人の国民性に対する不適切な高い評価に外国人を導き、そののちの幻滅の原因になると注意している。

■ウォルター・ウェストン=イギリス人。1888年(明治21年)宣教師として訪日。日本における近代登山の開拓者。著書に「日本アルプスの登山と探検」など。

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