「ムーブ!」チベット抵抗史 ペマ・ギャルポさん出演

2008.03.29 Saturday 00:10
くっくり



堀江政生
「重村先生……」

重村智計
「あの、例の、チベット自治区と中国は言いますよね。しかし実際には自治はさせてないですよね」

ペマ・ギャルポ
「もちろん違う。自治っていうのは、自治がないから自治って言ってるのであって、もう一つはですね、今日も(地図の)この赤くなってる所は、本来のチベットの半分ぐらいなんですね。120万平方キロメートルで、実際は230万平方キロメートルで、今の中華人民共和国のだいたい、えー、4分の1がチベットになるんですよ。え、僕が生まれたのも、今、四川省に併合されてるんです」

堀江政生
「そうみたいですね」

ペマ・ギャルポ
「ええ。それからあの、先ほど13世紀から、あの、要するに元の時代からチベットは中国の一部であったと言ってるんですけど、元の時代のモンゴルとチベット、あれ中国の一部じゃないです。モンゴルとチベットはローマ法王とイタリアの関係みたいだったんです。どっちが偉いんじゃなくて、それぞれがお互いに助け合って、片方があなた王様です、認知して、片方は何かあった時に物質的な、あの、まあ献上物なんか出してたわけですね」

堀江政生
「その、生まれて育ったチベットなんですけれども、ペマさんの想像するような(想像を絶するような?)実体験がここから始まってしまいます」

image[080324-08jittaiken1.jpeg]上田剛彦
「1953年6月にペマ・ギャルポさんは四川省のチベット自治州生まれです。父が藩主ということもあり、北京政府と結んだ条約に基づいて県長に。『藩主の子』と中国からは呼ばれてかわいがられていたということなんですが、そして今では考えられないんですが、家にはダライ・ラマ14世と毛沢東、2人の写真が掲げられていたということなんです。比較的、中国とは仲良く暮らしていたということなんですが」

image[080324-09jittaiken2.jpeg]上田剛彦

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