さよなら盧武鉉 どうなる李明博

2008.02.26 Tuesday 02:05
くっくり



 では途中で何があったのか。たとえば政権の初期、こんなことがあった。

 最初の日本公式訪問(2003年6月)の日がたまたま6月6日で、韓国では国に殉じた人たちを顕彰する国家的記念日の「顕忠日」だった。この日程をめぐってマスコミ世論や政権内で批判が起きた。「こんな日に日本に出かけて天皇との晩餐会とはけしからん」と。

 この訪日日程は日本側が押し付けたものではない。双方の協議の上で決まったことだ。いかにも古臭い発想の反日的批判だが、それが左派主導の政権内部の若手スタッフから出され、マスコミがそれをあおったのだ。

 それから翌年の鹿児島県指宿でのシャトル首脳会談をめぐっても、似たようなことがあった。「鹿児島は征韓論の西郷隆盛の故郷だからけしからん」というのだ。これも政権内部の若手から批判の声が出され、マスコミが飛びついた。

 外交当局サイドは「いや西郷を批判し征韓論を抑えたのも鹿児島の大久保利通だから問題ない」といってなだめたという笑い話みたいな裏話もあるが、21世紀の日韓関係の現実外交に19世紀の西郷隆盛を登場させたのが韓国だ。これでは日本や国際情勢の現状とはすれ違うだろう。

 それでもこれらの外交日程は予定通り実現した。指宿の首脳会談(2004年12月)で盧大統領は、靖国問題についても「日本側で判断されることを希望する」などと穏やかだった。

 しかしその後、2005年に入って反日強硬外交に転じる。きっかけは「独島」だった。マスコミが日本の島根県での「竹島の日」制定の動きに飛びつき反日キャンペーンを展開したのに乗っかり、日本非難に走り出した。

 以後、靖国問題をふくめ“反日四点セット”で日本非難を繰り返し、首脳会談拒否など反日外交に終始したことは周知の通りだ。

 こうみてくると盧武鉉政権の反日への転換は「独島」がきっかけだったことが分かる。領土問題は最も分かりやすく、国民感情を刺激するテーマであり、ナショナリズムのシンボルでもある。

 この反日テーマは、確実にすべての国民と一体になれる。政権スタートから最後まで対立してきた保守系大手紙などマスコミ世論も反対しない。いや大賛成だ。そもそも韓国では反米には公然と批判、反対の世論が存在し、親米デモもあるが、反日には反対世論は存在しないことになっている。たとえあったとしても決して表には出ない。

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