さよなら盧武鉉 どうなる李明博

2008.02.26 Tuesday 02:05
くっくり


 2002年12月に盧武鉉さんが当選した時、私はかなりガッカリしたのを覚えています。
 この年の9月の日朝首脳会談で金正日が拉致を認め、翌月、5人の拉致被害者の方々が帰国されました。日本のマスコミも世論も、早く拉致問題を解決しなければと大いに盛り上がっていた時期です。
 なのに韓国は北朝鮮に厳しいハンナラ党の李会昌候補ではなく、金大中大統領の「太陽政策」の継続を主張する盧武鉉さんが当選してしまった。

 盧武鉉さんが親北である以上、親日ではありえない。きっと反日政策になるんだろうなというのは、日本国民の多くが予想したと思います。
 実際それは当たったわけですが、それにしてもここまでキツイ反日政権になろうとは。


 金大中大統領は昔、知日派を自任していました。1998年の訪日時、当時の小渕首相と「日韓共同宣言」を発表、あらためて「謝罪と反省」を取り付け、「これで過去は清算された」「もう過去を取り上げることはない」と明言しました。
 ところがその後、「つくる会」の歴史教科書をめぐって教科書問題が起こったのを境に、反日に転じました。

 実は盧武鉉さんも就任当初は「歴史問題」は追及しない気でいたようです。
 が、結果はひどい反日政権で終わりました。なぜでしょう。

 以下、正論08年3月号掲載、黒田勝弘さんの論文【拝啓 李明博新大統領 今度こそ「過去離れ」ができますか?】より引用。

 盧大統領は任期も終盤になった昨年9月、ソウルを訪れた日本の要人と久しぶりに会った。森喜朗元首相ら日韓議連代表団と歓談した際、次のように語っている。

 「自分は(大統領就任直後)もう過去の問題には触れない、日本の戦争責任は問わないと約束したが、それが国内的に批判を受け、時間が経つにつれて容易なことではないと分かった。自分は間違っていたと思うようになった。過去のことを言わないと日本の首脳たちは靖国神社に行き、過去が生き返ってくる。なかなか簡単に対応できる問題ではないと感じた。それで政府内でも余裕が持てなくなり、世論や与党内とも対立するなど非常に難しい問題になり、思うようにいかなかった。日韓関係が一番難しかった」

 マスコミ世論や与党が何を言おうが、あれだけやりたい放題、いいたい放題でやってきた盧大統領なのに、日韓関係だけは思うようにやれなかったというのは解せない話だ。おそらく最初は「新しい対日関係」を考えたのだが、途中でヤル気をなくしたということだろう。

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