外国人から見た日本と日本人(5)

2008.02.11 Monday 02:58
くっくり



 その後、世界中で日本研究が盛んになり、ある人は日本の復興を奇跡と呼び、別の人はボーゲル先生のようにジャパン アズ ナンバーワンと称して日本の実績を称えると共に日本に対する警戒を促し始めた。そしてアメリカを始め諸大国は日本がかつて戦争で成し遂げなかったことを今度は経済でやり遂げようとしていると決めつけ、日本を弱体化する活動が展開された。日米貿易摩擦はまさに貿易戦争そのものであったと言える。戦争である以上勿論負傷者も発生している。以来日本は徐々に弱体化の道を辿りつつあるように私には感じられる。

 日本の敵は日本にいたのである。アメリカを筆頭に中国などに洗脳された日本人が、改革という名の下においてそれまで先祖代々受け継がれてきた伝統や価値観の破壊が始まった。これは中国の文化大革命ほど表向きには強烈な破壊的行為は無いが、受動的な手法で行った日本破壊は私は文化大革命に劣らないものがあったように思っている。


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 上で、アメリカ人であるフェノロサの明治25年時点での日本観を紹介しましたが、実はその後変化することになります。
 産経新聞朝刊文化面2007年12月2日「すてきなところへ」(45)『フェノロサと大津(上)』から引用します(上のフェノロサの言葉もこの記事からの引用です)。

 フェノロサは明治23年に帰国、同29年に再来日する。その間、日本は日清戦争に勝利していた。同32年、新聞のインタビュー「外人の眼に映ずる日本」で再来日後の日本観を披露した。《今回再び日本へ来遊して、非常な変化を見出しました。然かも其変化は悲しむべき変化であります》と始めて、こんな意のことをいっている。

 ――日本は欧米人のようにコマーシャルになった。金をもうけるのが唯一の目的となり、人々はただ自分の利益を求め、人から奪っている。欧米のぜいたく品を輸入して、肉を食べ洋酒を飲み、意味のない奢侈(しゃし)を極めている。科学の進歩はめざましく鉄道も電信も工業も発達したが、手段と目的を混同している。物質的なものは手段にすぎないのに、日本人はこの手段を目的とし理想としてしまっている――

 こうしたことがらは、フェノロサの時代だけにとどまるまい。最近の日本の世相にあてはまりそうな部分だってある。これらの文章は山口靜一編「フェノロサ社会論集」に収められている。

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