外国人から見た日本と日本人(5)

2008.02.11 Monday 02:58
くっくり


「正論」2008年2月号「私の『大好きなこの国』はどこへ向かおうとしているのか」より

 その頃(昭和40年代)私達留学生の間に日本人に対する形容詞は、日本人は親切である、日本人は勤勉である、日本人は礼儀正しい、…などと言って日本人を誉めない人はいなかったと思う。

 しかし大阪の万博を境に日本は極端に変わってしまったような気がする。あの辺から私達留学生の中では、日本人はバナナになったと表現するようになった。つまり皮膚の色は我々アジア人と同じだが、日本人は何でも西洋の真似をし始め、髪の毛をわざと茶色く染め日本語で唱う時も外国人のような発音をしたり、何でも「本場アメリカでは」と言い始めた。更に1980年代になり、日本人は会社でも個人の家でも個室を増やし始めそれぞれが自分の世界にひきこもり、個性と個人主義を旗印に学校や職場ではユニフォームを嫌い始め、評論家達はユニフォームが個性を殺しているとか、口を開けば「個性と自由」という言葉をマントラのように唱え始めた。

〈中略〉何はともあれ、私が目撃した日本人の勤勉さと真面目さ謙虚さによって、日本は世界一安全な国、世界第二位の経済大国そして世界一位を争うほどの長寿国家にもなった。それは日本人のみならず他のアジアの国々にとっても大きな励ましとなり、日本は模範国家となった。アジアの国々にとって日本は理想郷に近く、マレーシアのマハティール首相を始め、アジアの指導者達は「ルック イースト」の政策とともに、日本を目標とし、日本から学ぼうと言うのが常識になった。私自身この日本に住み、日本人と関わることが出来たことを誇りに思った時だった。

 アジアの国々から見れば、西洋の技術や経済学などを押し付けられて反強制的に従わざるをえなかったことが多く、日本の明治維新以来行ってきた、自ら進んで西洋の知識や物質文化を導入し、消化して日本に相応しい部分を取りいれて成功したこととは異なる経緯があったからである。このようにして日本が、戦争に負けて国が廃墟と化した所からたった25年で国を再建、更に発展させたことに対し、敵も味方も大きな驚きを覚えたのである。

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