2008.02.11 Monday 02:58
くっくり
日本人はこうした事実から、私たちの非難は、西洋の猛烈な対アジア拡張政策から注意をそらすための策謀と考えるだろう。実は、西洋の拡張政策のほうが日本人の本性や伝統社会より、近代極東の混迷にずっと大きな役割を果たしているのだ。
〈中略〉日本の歴史を日本の立場から説明すれば、日本人は世界を征服する野望にとらわれていたのではない。世界のどこの国にも征服されたくないという気持に動かされてきたのだ。
「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より
神道と天皇崇拝は日本人の民族感情にとって重要な文化と宗教の伝統を表わすものだった。これは、他の民族が固有の文化、宗教の伝統をもっているのと同じ国民感情である。伝統の力が強ければ強いほど、国家存亡のときには、戦争計画への国民統合に利用される。しかし、伝統が戦争の大義なのではない。ひとたび戦争が決定されると、伝統は防衛という名の戦争計画の背後に国民を統合するための手段となる。そうすることによって、為政者は複雑な戦争理由をわかりやすくするのである。
アメリカも戦争の後ろ盾に国民を統合するため、伝統を利用したのだが、とかくそれが忘れられがちだ。私たちは民主主義とキリスト教の名のもとに戦った。「天皇制」と神道が本来、戦争を内包しているのに対して、民主主義とキリスト教は本来、平和であると私たちは主張する。日本の学童が天皇の肖像に最敬礼をしたのは、アメリカの学童が「国旗に忠誠を誓う」のと同じ国民的儀礼だが、私たちはそれを見ようとしない。
天皇は「われわれ天皇と国民……の結びつきは単に伝説と神話によるものではない」と宣言したが(引用者注:いわゆる「人間宣言」を指すと思われる)、日本人の立場からすれば、ごく当たり前のことを言ったにすぎない。日本人が天皇を尊敬するのは、天皇が超自然的、超人間的存在であるからではない。長い歴史と伝統文化の表象としての制度を崇拝しているからである。日本の天皇は、アメリカの星条旗、あるいはアンクル・サムのようなシンボルなのだ。
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