2008.02.11 Monday 02:58
くっくり
「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より
日本は生まれつき軍国主義者であり、拡張主義者であるという宣伝文句ほど、私たちを混乱させるものはない。パールハーバー以前のどんな参考書でもいいから、ざっと目を通せば、それが正しくないことがわかるのだが、この宣伝文句の大きな問題点はそこにあるのではない。こんなことをいったら、日本人だけでなく、政治意識をもつアジアの人々には、アメリカ人がおろかしくみえる、ということなのだ。
私たちが日本にきた目的は、軍国主義的侵略性をもって生まれた日本人を「改革」することである。この「生まれつきの」軍国主義なるものを、日本人の過去に求めるとすれば、16世紀、朝鮮に攻め入った孤独な将軍の失敗の記録ぐらいのものだ。しかし、この遠征をとらえて日本民族を生まれつき軍国主義者と決めつけるなら、スペイン、ポルトガル、イギリス、オランダ、フランス、ロシア、そして私たち自身のことはどう性格づけしたらいいのだろう。これら諸国の将軍、提督、艦長、民間人は15世紀から、まさしく「世界征服」を目指して続々と海を渡ったではないか。
日本とアジアの目で見ると、日本に歴史的侵略の罪を着せる私たちの姿は、自分のガラスの家を粉々に壊している(訳註=自分の罪を棚に上げて他人を非難している)立派な紳士だ。私たちの非難は、むしろ、明治までの日本がいかに拡張主義でなかったか、これに対してヨーロッパ諸国がいかに拡張主義であったか、をきわだたせる。
〈中略〉私たちが最初に入植した13の地域は86万8980平方マイルの面積をもっていた。これに対して日本の南の三島は9万1654平方マイルにすぎなかった。私たちは初めから土地が狭いといってあがいていたのに、世界で「最も残忍な侵略者」は1800年間、狭い領土に満足していた。ペリーが日本の「門戸を開いた」ときの私たちの大陸の人口は2300万をわずかに超える程度だったが、小さな日本の人口は3300万だった。それでも世界に出かけて「門戸を開放」させようとしたのは私たちのほうだった。
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