外国人から見た日本と日本人(5)

2008.02.11 Monday 02:58
くっくり


 1876年(明治9年)11月、銀座が焼けた翌朝、火事場を見に行った時の記述

 この人たちが快活なのを見ると救われる思いだった。笑ったり、しゃべったり、冗談を言ったり、タバコを吸ったり、食べたり飲んだり、お互いに助け合ったりして、大きな一つの家族のようだった。家や家庭から追い出されながら、それを茶化そうと努め、助け合っているのだ。涙に暮れている者は一人も見なかった。

■エルウィン・ベルツ=ドイツ人。1876年(明治9年)、来日。東京医科校(翌77年東京大学医学部と改称)で教鞭を執る。
「ベルツの日記・上巻」より
 上のクララ・ホイットニーと同じ火事についての記述(むろん二人は示し合わせて書いたのではない)

 日本人とは驚嘆すべき国民である!今日午後、火災があってから36時間たつかたたぬかに、はや現場では、せいぜい板小屋と称すべき程度のものではあるが、千戸以上の家屋が、まるで地から生えたように立ち並んでいる。……女や男や子供たちが三々五々小さい火を囲んですわり、タバコをふかしたりしゃべったりしている。かれらの顔には悲しみの跡形もない。まるで何事もなかったかのように、冗談をいったり笑ったりしている幾多の人々をみた。かき口説く女、寝床をほしがる子供、はっきりと災難にうちひしがれている男などは、どこにも見当らない。

■アーネスト・F・フェノロサ=アメリカ人。美術研究家。1878年(明治11年)、お雇い外国人として来日。東京大学で政治学や哲学を教えた。のち美術行政にかかわり、東京美術学校創設などにも尽くす。日本文化に傾倒した。
「中国および日本の特徴」山口靜一訳より
 1892年(明治25年)に書かれた文章

 日本のとるべき最上の道は日本が東洋的伝統の理念をしっかりと保持して行くことだと私は信じている。この道こそ日本が人類に対して果たすべき重大なる任務であり、日本こそこの聖火を守る最後の国である。

※フェノロサについては最後に解説をつけました。あわせてご覧下さい。

■アリス・ベーコン=アメリカ人。1881年(明治14年)来日。華族女学校(後の学習院女学校)の英語教師として活躍。
「Japanese Girls and Women, revised and enlarged edition(Boston and New York, 1902)」(洋書)より

 旅行者が夏、日本の田舎を通りすぎて、道筋の村々から溢れ出し、人力車がとまるたびにそれをとり囲む半裸の男女と子どもたちを目にする時、彼は、いったいこの国にはほんとうの文明が存在するのか、この半裸の者どもは文明人というより野蛮人ではないのかと、疑い呆れることがある。

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