外国人から見た日本と日本人(5)

2008.02.11 Monday 02:58
くっくり


 
■ローレンス・オリファント=イギリス人。旅行家。1858年(安政5年)、日英修好通商条約を締結するために来日したエルギン卿使節団の一員。来日するまでにセイロン、エジプト、ネパール、ロシア、中国などを歴訪。1860年(万延元年)、水戸浪士の襲撃を受けたが、一命をとりとめ帰国した。
「エルギン卿遣日使節録」より
 下田の会所(物産展示販売場)についての記述

 これらの会所はもっとも人をいらいらさせる場所である。そこにはたくさんの品が並び、どれも美しく新奇なので、人は呆然とした気持になり、覆いかぶさる懐の負担を痛感しながら、光り輝く珍しい品々の並ぶ道を歩き回る。何を選んだらよいか、どんな品が故国で一番喜ばれるか。……ほかのものはみんな気違いのようになって買っている。……一番いいものはみんなあなたの鼻先で買い占められている。そこであなたは困惑し、失望しそこにつっ立っている。結局あなたはポケットが空になるまで、無鉄砲に無批判に買おうと心に決める。

■ラザフォード・オールコック=イギリス人。中国駐在領事を務めた後、初代駐日公使。1859年(安政6年)、日本に着任。封建的日本の忌憚ない批判者だった。
「大君の都」(中巻)より
 熱海滞在中に愛犬が死んだ時の記述

 この場合、日本人の性格のもっともよい気質のいくらかが、非常に都合よく現れた。
〈中略〉私の別当頭は、犬が死んだことを聞くとすぐにかけつけて、かご製の経かたびらに犬を包み、とむらいをした。私は宿所の経営者に木陰の美しい庭に犬を埋葬する許可を求めた。すると彼はすぐにみずからやってきて、墓を掘る手伝いをしてくれた。あらゆる階級の一団の助手たちが、あたかも彼ら自身の同族の者が死んだかのように、悲しそうな顔付きでまわりに集まってきた。犬はむしろに包まれて、好物の豆といっしょに墓にいれられた。注意深く北側におかれた頭の上に常緑樹の枝が一本さしこまれた。寺の僧侶が水と線香をもってきた。ついでその場所を示すため、でこぼこの墓石が墓の上におかれた。日本人は、支配者によって誤らせられ、敵意をもつようにそそのかされないときは、まことに親切な国民である。

■クララ・ホイットニー=アメリカ人。1875年(明治8年)、14才の時、商法講習所の教師として招かれた父とともに来日。
「クララの明治日記・上巻」より

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