2008.01.08 Tuesday 01:27
くっくり
「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より
(アメリカの)世論は占領計画の極端な厳しさには気づいていなかったのだ。なぜなら私たちは、日本人を「奴隷にする」考えはないとか、「日本国民は個人の自由と基本的人権をさらに求めていくことができる」とか、「新秩序」が確立されれば「最終的には」占領軍は撤退するとか、を声明で確約していたからだ。そして、新聞・雑誌は、私たちが進めているのは「民主的な」社会・政治「改革」であるとさかんに報道していたから、占領政策は博愛精神で進められており、日本国民を軍国主義者から解放している、という印象がつくり上げられていった。
しかし、占領は博愛主義的行動からは、はるかに遠いものである。私たちは、日本国民が指導者たち同様拘束されている事実を直視しなければならない。日本の行政、産業、資源、労働を握っているのは、法律をつくり、ときには武力をつかってでも法を執行しようとするアメリカ人である。教育制度、宗教、葬式、婚姻の習慣、伝統芸能、礼儀作法からキスの仕方まで、日本の文明がアメリカの規制を受けている。私たちは、日本文明の中で「戦争願望」の基になっていると判断したものは全て打ち壊すつもりなのだ。
〈中略〉占領政策は日本国民と文明の抑圧であることがよくわかる。この計画は戦争の合法的行為、すなわち賠償行為の常識をはるかに超えた、圧倒的スケールの「懲罰」と「拘束」である。これが、もし計画どおりに実行されれば、私たちの意図とは関係なく、日本の伝統文明は破壊され、国民はアメリカの下僕となり、人口は減少するだろう。
日本占領は妥当で、人道的で、正当であるかのようにみえるが、多くの問題がある。国は男、女、子供、何千万人の個人から成り立っている。だから、一国を「罰する」ことはむずかしい。その意図がどんなに正しくても、国民を罰しないで国だけ罰することなどできるはずがないのだ。アメリカ社会でも、人一人を罰するには、間違いなく有罪かどうかの証拠探しに大変な努力が払われている。しかし、日本に対しては、戦争中の感情的宣伝を証拠にして、全国民を一括処罰しようというのだ。日本国民全体を罰する私たちの権利の基盤は非常に脆弱である。
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