外国人から見た日本と日本人(4)

2008.01.08 Tuesday 01:27
くっくり


■アリス・ベーコン=アメリカ人。1881年(明治14年)来日。華族女学校(後の学習院女学校)の英語教師として活躍。
「華族女学校教師の見た明治日本の内側」より

 自分たちの主人には丁寧な態度をとるわりには、アメリカとくらべると使用人と雇い主との関係はずっと親密で友好的です。しかも、彼らの立場は従属的でなく、責任を持たされているのにはたいへん興味深いことだと思います。彼らの態度や振舞いのなかから奴隷的な要素だけが除かれ、本当の意味での独立心を残しているのは驚くべきことだと思います。私が判断するかぎり、アメリカよりも日本では家の使用人という仕事は、職業のなかでも良い地位を占めているように思えます。


【引用者注】この後の記述で、アリスは、召使が言いつけたとおりでなく、主人にとってベストだと自分が考えるとおりにするのに、「はじめのうちはたいそう癪にさわ」ったものの、何度か経験するうちに、召使の方が正しいのだと悟った――という内容のことが書かれているそうです。

■エドウィン・アーノルド=イギリス人。詩人。1889年(明治22年)11月来日。インドのデカン大学の学長を務め、帰英後はデーリーテレグラフ紙の編集者。
「ヤポニカ(Japonica)」より

 街はほぼ完全に子どもたちのものだ。
〈中略〉東京には馬車の往来が実質的に存在しない。四頭立ての馬車はたまにしか見られないし、電車は銀座とか日本橋という大通りしか走っていない。馬にまたがり、鞍垂れをつかんで走る別当を連れて兵営を往き帰りする将校にときたま出会うくらいだ。こういったものは例外だ。従って、俥屋はどんな街角も安心して曲ることができるし、子どもたちは重大な事故をひき起こす心配などこれっぽっちもなく、あらゆる街路の真っただ中ではしゃぎまわるのだ。この日本の子どもたちは、優しく控え目な振舞いといい、品のいい広い袖とひらひらする着物といい、見るものを魅了する。手足は長いし、黒い眼はビーズ玉のよう。そしてその眼で物怖じも羞かみもせずにあなたをじっと見つめるのだ。

■小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)=アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれる。1869年(明治2年)に渡米、新聞などで活動。1890年(明治23年)、松江に英語教師として赴任。その後、熊本、神戸、東京と移り住み、日本に帰化。多くの日本論も残した。

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