外国人から見た日本と日本人(4)

2008.01.08 Tuesday 01:27
くっくり


 
■J・R・ブラック=イギリス人。海軍将校、商人、ジャーナリストという多彩な経歴を持つ。1863年(文久3年)来日、横浜で「ジャパン・ヘラルド」をはじめ新聞事業を次々に手がけた。青い目の落語家として知られた快楽亭ブラック(初代)は長男。
「ヤング・ジャパン1」より

 彼らの無邪気、率直な親切、むきだしだが不快ではない好奇心、自分で楽しんだり、人を楽しませようとする愉快な意志は、われわれを気持よくした。一方婦人の美しい作法や陽気さには魅力があった。さらに、通りがかりに休もうとする外国人はほとんど例外なく歓待され、「おはよう」という気持のよい挨拶を受けた。この挨拶は道で会う人、野良で働く人、あるいは村民からたえず受けるものだった。

■アルジャーノン・バートラム・フリーマン・ミットフォード=イギリス人。1866年(慶応2年)〜1870年(明治3年)、英国公使館の書記官として日本に滞在。その後2度来日。
「ある英国外交官の明治維新」より
 横浜初上陸の際ひどい悪印象を得て迎えた翌日の記述

 午後のひととき、公使館のまわりをぶらぶらと歩いていると、不意に水平線から、なだらかに優美な曲線をえがき、白雪をいただく円錐形の山頂がくっきりと天空にそびえ立つ富士山の全容が、私の目に映った。私は名状しがたい強烈な興奮に駆られた。昨日までは考えもつかぬ狂気にちかい気持の高ぶりであった。そして、その時の異常な興奮はいまもなおその余韻がさめやらぬし、おそらく生涯の終りまで消えることがないだろう。

■イザベラ・バード=イギリス人。当時の女性としては珍しい旅行家で、1878年(明治11年)以降、日本各地を旅した。
「日本奥地紀行」より
 明治11年、京都を訪れるのに神戸から三等車に乗った時の出来事(邦訳本では省略)

 というのは“庶民”がどんな風に振舞うか、とても見たかったからだ。座席の区切りは肩までしかなくて、もっとも貧しい階層の日本人ですぐ満員になった。旅は三時間続いたが、人びとのおたがいと私たちに対する慇懃さと、彼らの振舞い全体に私は飽きもせず目を見張った。美しかった。とても育ちがよく親切だった。英国の大きな港町の近傍でたぶん見かけるだろうものと、何という違いだろう。日本人はアメリカ人のように、きちんとした清潔な衣服を身につけることで、自分自身とまわりの人びとへの尊重の念を現すのだ。老人と目の見えぬ者へのいたわりは、旅の間とてもはっきりと目についた。われわれの一番上品な振舞いだって、優雅さと親切という点では彼らにかないはしない。


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