“撃墜王”が語った日本の戦争の意義

2007.12.11 Tuesday 01:07
くっくり



 日本を「歴史的にみて、アジアを白人の支配から解放するのにこれほど尽くした国はかつてなかった。同時にこれほど誤解された国もまたかつてなかった。それでも日本が無数の植民地の解放に果たした役割はいかなることをもってしても、消し去ることはできない」といったのはたしかビルマの独立運動指導者バー・モウだったと思うけれど、いずれにしても、かつての日本がそうした存在感を持っていたということを、私たちは素直に認めたらいいと思う。

 これは福田さんには釈迦に説法だろうから、これを読んでくれる若い人たちにいっておきたいのだが、ヨーロッパの近代を支配した歴史原理が何かといえば、それは帝国主義でしかない。これは善悪の問題ではなく、当時はそれしかなかったということです。中世の終わりに、バスコ・ダ・ガマやマゼランといった大航海者たちが新しい大陸を発見し――「新大陸」といういい方それ自体が、実は彼らを主体に据えたものだが――、それを一方的に植民地化することでヨーロッパは富を蓄えた。

 かつてレーニンはその論文のなかで、「近代ヨーロッパの繁栄は、しょせんは植民における豊富な天然資源の一方的な略奪と、現地における奴隷に近い安価な労働力の使役(しえき)の上にのみ成り立っていた」という分析をしていますが、まさにそう動かした原理は何かといえば、ヒューマニズムでも何でもなく、帝国主義だったわけです。

 これはいまどきの日本の国会議員が後生大事(ごしょうだいじ)にいう「話し合い」とか、「国際協調」などという理屈で防げるようなものではなかった。「ピース」といったってだめなんですよ(笑)。だからこそ日本はロシアの植民地になりたくないという危機感から必死にあの戦争を戦い、奇跡の勝利を得、故司馬遼太郎のいうところの“坂の上の雲”を当時の日本人の総力でつかんだわけです。

 もちろん、その後に日本が冒した失敗、罪というものはたしかにある。いってみればミイラとりがミイラになっていったようなものだが、しかし、トインビーや第三世界のリーダーがいったように、日本の存在感というものが、彼らの国家民族としての命運を切り開く決定的な要因となったことは、それを一方的に受け取って自惚(うぬぼ)れてもならないけれど、逆にそれを一方的に否定したり、何も後世に教えないというのは、怠惰に過ごしてきた戦後の日本人の責任で、このことが、たとえば今の日本の若者が抱える問題のすべての根幹にあるような気がしてならない。

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