2007.11.10 Saturday 03:21
くっくり
恩納川原に着くと、そこは、阿波連の人、渡嘉敷の人でいっぱいでした。そこをねらって、艦砲、迫撃砲が撃ちこまれました。上空には飛行機が空を覆うていました。そこへ防衛隊が現われ、わいわい騒ぎが起きました。砲撃はいよいよ、そこに当っていました。
そこでどうするか、村の有力者たちが協議していました。村長、前村長、真喜屋先生に、現校長、防衛隊の何名か、それに私です。敵はA高地に迫っていました。後方に下がろうにも、そこはもう海です。自決する他ないのです。中には最後まで闘おうと、主張した人もいました。特に防衛隊は、闘うために、妻子を片づけようではないかと、いっていました。
防衛隊とは云っても、支那事変の経験者ですから、進退きわまっていたに違いありません。防衛隊員は、持って来た手榴弾を、配り始めていました。
思い思いにグループをつくって、背中合わせに集団をなしていました。自決と決まると、女の子の中には、川に下りて顔を洗ったり、身体を洗っている者もいました。
そういう状態でしたので、私には、誰かがどこかで操作して、村民をそういう心理状態に持っていったとは考えられませんでした。
ナレーション
「集まったお年寄りからは日本軍の兵士によって集団自決に追い込まれていった当時の状況が語られました」
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