沖縄戦集団自決問題まとめ(1)

2007.11.10 Saturday 03:21
くっくり


 この証言は、梅澤氏が手記を出す前年の1985年(昭和60年)7月30日付神戸新聞に掲載されました。


◆沖縄県民はよく戦った

 沖縄の住民も軍にはよく協力し、有名な鉄血勤王隊、ひめゆり隊などができました。
 だからこそ、海軍部隊司令官の大田実少将は海軍次官宛に「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という有名な電報を打ち、自決したのです。

 沖縄戦で「ひめゆり学徒」として散華した二人の娘、金城貞子さんと信子さんに宛てた母ふみ子さんの手記に、このようなくだりがあります(ふみ子さんの夫は慰霊塔「ひめゆりの塔」を建てた故・金城和信氏)。

 「昭和十九年の夏頃から、貞子たちは軍の陣地構築作業に出かけていましたが、その十月に那覇大空襲があってからは、事態は刻々悪化して、昭和二十年に入ると、敵の上陸は必至となりました。そんなある日、本当に嬉しそうに学校から帰ってきた貞子は、『お母さん、今日学校で従軍看護婦として教育を受ける者の人選が行われ、四年生のほとんど全員受けることになりましたが、三年生は各級から体格の良いものを十名づつと言うので、みんな何とかしてその中に入りたいと、それはそれは大変でしたのよ。でも貞子は首尾よくその十名の中に入れたのよ』。貞子は、嬉しさに目を輝かせながら私にそう言い、よかった、よかったと何回もくり返しておりました」

 「信子たちは、『私たちの卒業証書は靖国神社の入場券である』とよく言っていました。また『靖国の宮に御霊は鎮まるも、おりおり帰れ母の夢路に』という歌をよく口ずさんでいましたが、何故かいまでも九段の社から信子が私に呼びかけている気がします」


◆理由は「遺族年金」

 集団自決に「軍命令があった」とする嘘は、なぜ生まれたのか。また、遺族や関係者はなぜ長い間、真実を胸の奥にしまい込んできたのか。その理由は「遺族年金」にありました。

 「戦傷病者戦没者遺族等援護法」は、軍人や軍属を対象にしており、一般住民は適用外となっているため、「勝手に」死んだ住民の遺族には補償が下りません。
 そこで、集団自決した住民は「軍命令」で行動していたことにして、「戦闘協力者」すなわち「準軍属」扱いとしたのです。これにより、遺族に年金が支給されるようになりました。

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