沖縄戦集団自決問題まとめ(1)

2007.11.10 Saturday 03:21
くっくり


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◆問題の発端

 問題の発端は1950年(昭和25年)、沖縄タイムス編著で朝日新聞社から出版された【沖縄戦記 鉄の暴風】(以下【鉄の暴風】と記す)。これが「集団自決」は軍の「命令」によるものだとする説の起源です。

 【鉄の暴風】の記述が、1970年(昭和45年)に岩波書店から発行された大江健三郎氏の【沖縄ノート】などに孫引きされ、渡嘉敷島では赤松嘉次大尉(故人)、座間味島では梅澤裕少佐が、住民に手榴弾を渡して「集団自決」を強要したと、世間に広く流布されることになりました。

 【沖縄ノート】には、赤松・梅澤両氏の実名は挙げられていませんが、特定するに十分な記述があり、赤松氏を「ペテン」呼ばわりしたのみならず、ホロコーストを主導したナチスの「アイヒマン」になぞらえ人格非難、「公開処刑がふさわしい」とまで罵倒しています。


◆渡嘉敷島

 ところが1973年(昭和48年)、軍による「集団自決」強要の事実は無かったことを裏付ける証言が出ます。
 曾野綾子氏が現地取材をしてまとめた【ある神話の背景】(文藝春秋社発行。後に【沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実】と改題、改訂されワック出版より発行)です。

 曾野氏は特別な調査ではなく、ただ足で歩いて一つ一つ疑念を調べ上げました。本土では赤松氏にも会いました。渡嘉敷の島民たちにも多数会いました。
 そして沖縄タイムスの記者も、大江健三郎氏も、一度も現地に取材に行ったことがない事実が判明しました。
 (出版差し止め訴訟における07年11月9日の口頭弁論においても、大江氏は「参考資料を読み、執筆者に会って話を聞き、集団自決は軍隊の命令という結論に至った」と述べ、現地取材をしていないことを認めています(産経11/9))

 曾野氏が取材した当時、渡嘉敷島で「集団自決」を知る村の関係者は存命で、赤松氏も隊員も存命でしたが、その誰からも「命令」の事実は出てきませんでした。

 【鉄の暴風】には、地下壕で将校会議なるものが行われ、そこで「自決命令」を決めたという場面がいきいきと描かれています。
 が、曾野氏の取材に対し、赤松大尉の副官だった知念睦元少尉は、地下壕や将校会議の存在を否定しました。

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