北方領土とロシアの蛮行を忘れるな
2007.09.11 Tuesday 01:35
くっくり
1989年、冷戦の象徴であったベルリンの壁が崩壊しました。国際情勢全体を見て、その中でロシアがどういう状況にあったのか。
ロシアでは85年にゴルバチョフが出てきてペレストロイカ(ロシア語で「改革(再構築)」を意味する)が始まり、91年にソ連は崩壊しました。
97年、エリツィン大統領と橋本龍太郎首相の間で「2000年までに領土問題を解決して平和条約を結ぶ」と約束した「クラスノヤルスク合意」が実現しました(但しこれは日本側がロシアに譲歩したものであるとか、エリツィンもさほどやる気はなかったという説もあります。とにかくこの合意はその後、事実上白紙に戻ってしまいました)。
当時の流れを見ますと日本にとってはまさにチャンス到来で、打つ手はたくさんあったはずなのに勿体ないことをした……と思ってしまうのは素人考えでしょうか?
そういや麻生さんが昨年唱えた「北方領土の面積二等分論」、これって結局何だったのでしょうか。世論の反応を見定めるアドバルーン発言ではないか?という見方もありましたが。
町村外相は「北方領土の面積二等分論」について、「コメントすることもないでしょう。とても現実的なものとは思えない。4島一括返還というのがわれわれの年来の主張だ」と述べています(産経8/30【新閣僚に聞く】)
そこまではいいとしても、じゃあこの先どうやって返還を実現していくのか、何か具体的なビジョンはあるのでしょうか。
ロシアとの北方領土交渉は事実上、凍結状態にあります。水面下で何かやってくれている可能性もなくはないのでしょうが、少なくとも私たち国民にはそれが見えません。
その上、広報も不十分です。これでは国民に関心を持てという方が無理です。
私が子供の頃、テレビでよく「北方領土は日本固有の領土です」というナレーション入りの政府公報が流されていました(1981年に北方領土の日が制定された後は、「2月7日は北方領土の日です」というナレーションも追加されたようです)。
細かいことは理解できなかったものの(学校でちゃんと習った記憶がない)、子供心に「日本なのに日本じゃないの?何で?」と、モヤモヤとした気持ちを抱いたものです。
[7] << [9] >>
comments (18)
trackbacks (6)
<< 日朝作業部会まとめと拉致問題停滞の内的要因
朝日新聞と金正日の高笑いが聞こえる >>
[0] [top]