2007.09.08 Saturday 01:39
くっくり
あるいは停滞した拉致問題の打開のために、北朝鮮の“宗主国”に等しい中国を抱き込む戦略を描いた外務官僚がいたのかもしれない。しかし日中間には本質的な変化は何も起きていないのである。たとえ就任直後の日本国首相が同盟国アメリカへの訪問より中国を優先したといっても、ただ外交上のサービスだけで、対立する二つの国の関係が飛躍的に改善することなどあり得ない。
こういったコスメティック(化粧)な変化は、厳しい現実を覆い隠し、国民の現状認識を誤らせる。つまり日本の真の「敵」がだれであるのか、日本が対峙しているのは何なのかをわからなくしてしまう。すべての対立がもやもやとした関係に化け、日本が抱える対外関係の本質はいつの間にか雲散霧消してしまったかのような錯覚に陥ってしまうのだ。これは必ず、政治指導者に対する「冷めた眼」を生み、それまでの「上げ潮」が方向を見失うことにもつながる。このことが果たしてどこまで意識されていたか。
その「冷めた眼」と「潮流の散乱」現象は、拉致問題に対する、それまでのモメンタムをも鈍らせてゆき、日本の政治の中心から拉致問題の影がはっきりとうすくなっていった。それに伴って拉致に関心を寄せる世論自体もどことなく弛緩し始めた。
「アメリカの豹変」によって六カ国協議が“進展”し始めると、「拉致問題が置き去りになるという恐れはあるけれど、いますぐ核ミサイルが飛んでくることはなくなった。核実験ももうやらないだろうし……」というように、有権者大衆の心も変質し、「拉致問題に取り組む安倍首相」というオーラは霞み、内政の「年金」や「閣僚の失言」に焦点が移らざるを得なくなっていった。
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